差別性から普遍性へ
木村:この部門、残念ながら日本からの受賞作がありませんでした。デジタルやデザインの領域では日本は世界的に強く、今年も多くの賞を獲得していますが、このブランデッド・コンテント部門は日本人には難しい部門なのでしょうか。
岸:そんなことはないと思いますが、もしかすると日本は今後苦戦するかもしれません。
木村:具体的にはどういうことですか?
岸:カンヌで勝つというか、世界の人を動かす前提での話になりますが、「日本人は、コンセプトの解像度を下げて、逆にエグゼキューションの解像度を上げるべき」だと思いました。
木村:どういう意味ですか?コンセプトの解像度を下げるというのは?
岸:仕方ないことではありますが、日本人は世界に対して普遍をとらえるセンスが弱いと思うんです。島国ですし、何より平和ですから。もちろん日本人の普遍を捉えることは得意です。つまり日本という国は、社会の中での共通認識や意識共有がある程度安定的に出来ているので、その中でモノを考えると、どうしても、より深く、より細くコンセプトを設計していってしまうわけです。問題は、この日本人らしくしっかり考え込んだコンセプトというのが、世界から見ると、とても瑣末でニッチなことに見えやすいということです。極端には、理解できれば素晴らしくても、そもそも複雑すぎて、理解する気も持たれずに、無視されてしまうようなことをカンヌの現場ではたくさん見ました。
それに比べて、カンヌで受賞しているような欧米系のクライアントのコンセプトはもっとずっと粗いわけです。「Thank you, Mom.(お母さんに感謝しよう)」、「You are beautiful more than you think.(あなたは美しい、あなたが思ってるよりもずっと)」。「Share a Coke」。これらは全てカンヌでゴールド以上を取っているキャンペーンですが、競合他社でも全然言えちゃいますよね。競合に言えてもいい。より普遍で強いストーリーを誰よりも先に、誰よりも強く発信していく。そんなことが世界では普通に行われているわけです。「そのコピー、競合商品に置き換えても言えちゃうよね?」と、競合に言えないことを探す時代は、もう終わっているように思うのです。
木村:確かに、今の時代は、もっとざっくりした人間の普遍を語った方が強いですね。僕はよくそれを「人間の根本原理」と呼んでいます。いまやポジショニングを切って、他社との違いを言い当てればよかった差別化マーケティングが通用しなくなっているのに、その時代のコンセプトワークをそのまま踏襲してしまっている傾向が強いと思います。
岸:彼らは、コンセプト、物事の捉え方が緩い(ただし骨太)。その反面、それを世の中に露出するときのエグゼキューションのクオリティや作りこみは、日本のそれと比にならないほど素晴らしいわけです。競合他社でもいえることだからこそ、一番強い表現物でストーリーを語る。これが、日本のクリエイティブがエグゼキューションの解像度を上げなければいけないと言っている部分です。
木村:コンセプトが細かい差別化に入ってしまっている点も、最終的な仕上げの出来栄えがグローバルレベルに足りないことがある点も、これはもしかしたら広告だけでなく、商品開発を含めた日本のマーケティング全体に言えることかもしれないですね。
来年は日本から、優れたブランデッド・コンテントがたくさん生まれるといいですね。ありがとうございました。