起業のリスクを取るのは経営者だけではなく、投資家も同様である。日本を代表するエンジェル投資家、松山太河氏はネットエイジの出身。投資家になるまでの経緯を聞いた。
そもそもネットで儲かっている企業がなかった時代
――松山さんご自身、最初はアクセンチュアにいらっしゃったんですね。
松山:はい、1年半か2年いました。実務経験と言えるかわかりませんが、アクセンチュアにいてよかったことは、インターネットが使い放題だったことです。1997年ごろの話しですが、当時はまだネット回線の環境がどこも整っておらず、ダイアルアップがほとんどでした。そんな中、アクセンチュアでは、プロジェクトの部屋などは太い回線が引かれていたので、ネット環境はとても恵まれていました(笑)。
(まつやま たいが)
ベンチャー・キャピタリスト 早稲田大学商学部卒。アクセンチュア、ネットエイジ取締役、eグループなどを経て、エンジェル投資組合クロノスファンド、国内外の成長ITベンチャーに投資するEast Venturesのパートナーを務める。
あと社内にプログラマも沢山いました。辞めた後、アクセンチュアの技術者だった人を何人も知っていたことが、人脈となり仕事をしていく上でとても役に立ちました。
当時のアクセンチュアで斜め前に座っていたのが、@cosmeを運営するアイスタイルを創業された吉松徹郎さんでした。その後ネット系に進出した人はリクルートかアクセンチュア出身の人が多かったんです。
――アクセンチュアに入られたのは、もともとネットや起業への関心が高かったからですか?
松山:いや僕の場合、単純に就職活動をあまりしていなくて、通年採用しているところしか受けられなかったんです。もともと学生時代、ずっとメンバーズという会社でアルバイトをしていました。なんとなくこの会社に入るのかなと思っていたんですが、剣持(忠)社長が、まだ4人の会社だったので、「いまこういう会社入らない方がいいよ」みたいなこと言われて(笑)。
――当時はインターネットが登場した頃ですね。学生時代からそういう会社でアルバイトしていたということは、普通に就職して会社に入ろうとは思っていなかったんですね?
松山:そうですね。ただ当時はネットで儲かっている会社ってほとんどなかったんです。事業として成り立っていたのは、IIJさんとかプロバイダーやレンタルサーバーの事業くらいでした。インターネットサービスの会社で食べていける会社はまだなかったので。いまの学生はネット業界に就職しようと思ったときの選択肢があるので、恵まれていますね。
当時、大学時代の友達に、孫泰蔵氏(ソフトバンク創業者、孫正義氏の弟)がいました。
お兄さんの伝手でヤフー・ジャパンのローカライズの仕事をするというのがあって、そのアルバイトもさせてもらっていたんです。ですが当時でもヤフーの社員は2、3人だったんで、就職先とはならず、アクセンチュアに行きました。