僕はミーハーなんです
——アクセンチュアではどういう仕事をされていたんですか?
松山:当時僕がやっていた仕事は、グループウエアだったんです。ネットでメーリングリストが無料で使えるなかで、こういう事業は将来ネットに明らかに置き換わって、なくなるだろうなと思っていました。もうそういう時代じゃなくなるだろう、と。いまじゃグループツールは無料ですよね。これが当時は数百万円で売っていたんです。
——ネットエイジに移られたきっかけは既存の仕事に限界を感じたからですか。
松山:そういう訳でもなかったんですが、西川潔さんに誘われて、当時のネットエイジに役員として参加しました。当時のネットエイジは西川さんが会社を立ち上げたばかりの頃で、学生のアルバイトが数人。まだプロダクト自体も決まっていない段階でした。
——そこからスタートアップ企業での人生が始まるんですね?

松山 太河氏
松山:はい、ネットエイジの主事業であったオンライン自動車事業はその後、ソフトバンク・グループに売却されました。その頃、eグループ(その後、ヤフーが買収)の日本法人を立ち上げつくるという仕事のお誘いを受けました。知り合いの人が社長をやり僕が役員として入ることにしました。
eグループは、当時アメリカでもっとも人気のあったベンチャー・キャピタリストだった、セコイアのマイク・モリッツがいました。当時のシリコンバレーでは、セコイアとクライナー・パーキンスという2つのVCが別格でした。そしてセコイアと言えばモリッツ、クライナーと言えばジョン・ドーアというのが2大ブランドでした。
eグループはマイク・モリッツの投資案件でした。彼はヤフーに最初に投資し役員として入り、グーグルにも投資家として取締役に入りました。彼は投資して特に気に入った企業には取締役として入るんです。まさにeグループに彼は役員として名前を連ねていました。ヤフーやグーグルと同じように、彼はeグループを見込んでいたんですね。
そのeグループが日本に来る。僕はミーハーだったんで(笑)、参加することにしました。
——マイク・モリッツにはそんなに思い入れがあったんですか。
松山:僕はネットエイジの頃、セコイアにプレゼンに行ったことがあるんです(笑)。VCはずっと憧れていたんで、西川さんに連れていってもらってシリコンバレーに行きました。
スタンフォード大学の裏手にあるサンドヒル・ロードという通りがあるんですが、そこはVCばかり集まっているんです。セコイアもそこにオフィスがあり、何度もマイク・モリッツにアポを入れたんですが会ってもらえなくて、代わりにモリッツのアシスタントをしている人に一生懸命プレゼンしたんですが、「ボスには会わせられない」とか言われてしまいました(笑)。
――いわば彼は門番だったんですね。
松山:そうですね。モリッツに会いたいという人は山ほどいるでしょうから。多分、彼はスタンフォードのMBAをとった1年目か2年目の人で、こういう人がまず対応するんでしょうね。