産業経済学の研究者は、「応用」経済学の境界領域の1つで生きてきた。経済的な諸問題を扱う社会学者、制度学者、行動心理学者、ビジネス・アナリスト(およびとりわけビジネス・スクールの教員)たちは明らかに、より「科学的」ではない立場にあった。彼らは、彼らなりの経済学のための「堅固」で完成された理論的基礎をもっていなかった。その時々の自由な発想をもつエコノミストたちには(彼らがすでに著名であれば)敬意と関心が払われた。しかし、彼らのアイデアで何ができるのか、また、主に市場均衡、資源配分、価格、厚生の最大化についてのモデル構築に関わってきた理論経済学の諸問題にそれらがどう活用できるかを理解することは難しかった。米国では、ビジネス研究を経済学のなかの1つの正統な学科として認めることに関する議論と抵抗とが繰り返されてきた。このような態度の名残はなお残っているものの、今日では、固有のモデルと統計的検証をともなった「ビジネス研究」が、ほぼ完全に企業分析の主流となったといえる。その結果、伝統的なミクロ経済学はもっぱら、おそらくその最も有用な機能、すなわち、マクロ経済の動向に関する理論の理論的基礎としての機能だけを担うことになった。この理論体系にとっては、1つの組織としての「企業」は論じる意味がないと考えられている。
そうであるにもかかわらず、伝統的な「企業の理論」における「企業」は、たえず理論上の論争のもととなってきた。それは1つには、利潤最大化の均衡点において、完全競争経済の理論モデルのまさに基盤を破壊するのが、なぜ規模の問題ではないのかを理解することがきわめて難しかったからである。経済学者は、概念上の均衡なしには、外生的な撹乱要因に対して経済が反応する方向を予測できなかったし、完全競争の仮定なしには、競争的な市場の有する卓越した厚生上の効率性を主張できなかった。企業の内側で何が起きているかを問うことが必要だと考えた経済学者はほとんどいなかった。また、実際のところ彼らの「企業」にはいわば「内側」はなかった。私が言いたいのは、彼らが間違っていたということではなく、理論経済学者として、彼らは現実に対して他の人々とは異なる見方や異なる問い方をしたということにすぎない。私見では、異なるアプローチをあえて「統合」しようとすることは有益ではない。
新古典派の企業観は、20世紀の最後の四半期に至るまで理論経済学を支配し続け、なお最高の威信を保っているようにみえる。しかし、それと同時に、組織としての企業の行動・マネジメント・理論・政策に関する新たな研究が、文字どおり爆発的な勢いで進んでいる。これにはたくさんの理由がある。すなわち、ビジネス・スクールの興隆、マネジメントやビジネス関係の博士号取得者の急増およびその結果としての企業に関する応用的経済研究の増加、新たな企業組織の発達も含め、異なるタイプの産業社会の出現を理解するための新たな思考方法の必要性の顕在化──多くは日本企業とその成功に対する関心の高まりによって触発されたものである──、そしてもっと最近では、経済学全般における進化的思考の高まり、また、現代の世界における「静態的」な新古典派経済学の説明力の限界に対する認識の増大といったことも挙げられるだろう。(たとえば、Nelson and Winter (1982) およびGeoffrey Hodgson (1988) を参照)。