伝説のディスコが「デザイナーズホテル」を生んだ

現在の高級ホテルの主流は、1980年代にニューヨークで生まれた「デザイナーズホテル」(英語ではブティックホテル)の流れをくむものです。ホテルプロデューサーにして不動産デベロッパーでもあるイアン・シュレーガーが広めたトレンドで、その名の通り、モダンアートの影響を受けたデザイン性の高さを特徴としています。

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イアン・シュレーガー。伝説のディスコのオーナーだった彼は、1980年代にその経験を生かしてホテル事業に進出。デザイナーズホテルというスタイルを確立した。

シュレーガーはもともと1977年から1986年まで存在した伝説のディスコ「Studio 54」のプロデューサーとして、ニューヨークのナイトシーンを席巻した人物。照明にわざわざトニー賞受賞者を起用するほど、あらゆる面でラグジュアリーを追求した同店は“世界最高のディスコ”とも称され、アンディ・ウォーホル、ミック・ジャガー、マイケル・ジャクソン、イブ・サンローランなどのセレブたちがこぞって通いつめました。音楽、ファッション、アートなど、あらゆる最新トレンドの発信基地として君臨したのです。

しかし、シュレーガーと彼の経営パートーナー(スティーブ・ルベル)は脱税容疑により、1980年に実刑判決を下され、「54」は別のオーナーの手に渡ります。1年間の服役から出所したシュレーガーは、ディスコで得たホスピタリティのノウハウを生かしてホテル事業を始めることになりました。

彼が目指したのは、思わず尻すぼみしてしまうような威風堂々としたクラシックなホテルではなく、「54」に集っていたセレブたちが利用したくなるようなスタイリッシュで現代的な高級ホテル。隅々まで統一されたデザイン、高いホスピタリティ、そして何より重視したのは、ディスコのような社交場を目指して、ロビーを開放的な空間にすることでした。

シュレーガーはそのコンセプトについて、Lobby Socializing(ロビー・ソーシャライジング)であると語っています。日本語に訳せば、ロビーを社交場に変えること。いわば、感度の高いニューヨーカーの“たまり場”を高級ホテル内に作ってしまったのです。こうして彼は、1984年にオープンした「Morgans Hotel」の成功を皮切りに、「Royalton Hotel」「Paramount Hotel」など、大手ホテルチェーンに変わる新たなデザイナーズホテルを次々と誕生させていきました。

特にRoyalton Hotelは、デザイナーズホテルの完成形と評されています。フランス人デザイナーのフィリップ・スタルクがマンハッタンのエグゼクティブ層のためにデザインしたロビーは、ブロードウェイの観劇客や商談をしているビジネスマンで今も賑わっています。ミラーボールや巨大スピーカーこそないものの、現地でもハイクラスな人々が集う光景は「54」の再現と言えるでしょう。

とはいえ、シュレーガー流のロビー・ソーシャライジングの根底にあるのはあくまでエクスクルーシブなライフスタイル。ラグジュアリーのオープン化の一端を示す試みではありましたが、「54」が世界一厳しいドレスコード(オーナーが入り口でゲストの服装をチェックし、気に入らなければ出入り禁止だった)で知られたように、万人に対して開かれているとは言い難いものでした。

時代は進み、ドレスコードのあるディスコから、デニムにTシャツがOKのクラブにナイトシーンの中心が移行したように、高級ホテルもより自由で個別的なライフスタイルを体現することが求められるようになっていきました。そんなときに登場したACE HOTELのアレックス・カルダーウッドは、ロビー・ソーシャライジングの現代版とも言える大胆なコンセプトを打ち出したのです。