ところが、ABC三つの案から消去法でA案を選んだリーダーの場合、壁が出てくると、チームに「A案を選んだのは本当に正しかったのか」「B案やC案のほうがよかったのではないか」という迷いが生じます。そして「A案は論理的だったか」「収益計算は正しかったか」「市場分析は正しかったか」といった論評に傾いてしまうのです。

 論理的な分析や計算に秀でたリーダーより、「やりたい」という情熱が強いリーダーのほうが、成功の確率をはるかに高められる。箸にも棒にもかからない案は別として、拮抗した二案であれば、やりたいという情熱が高まっているほうをやるべきですね。

 普通は正しさのほうが説得力を持ってしまいませんか。

 いえ、皆さん一度はそんな場面に遭遇したことがあると思いますよ。たとえば、社内報を発行しようという企画が持ち上がったとしましょう。

「会社が大きくなってきたので、社内報を発行して社員の会社に対する気持ちを高めていくべきです」
「俺はこの会社が大好きだ。この会社のよさを、社内報を発行して社員みんなに何としても伝えたい」

 前者と後者では、まったく「艶」が違います。この違いの根源にリーダーの強い情熱があることは、周囲のだれもが感じるはずです。やりたいことがある、それに対する強い情熱がある。それがすべてではないでしょうが、アントレプレナーシップに情熱が必要なことは間違いありません。

 同時に、常識を疑う力も欠かせません。常識や正解に基づいて選択し行動すれば、大きな問題は起こりません。賢く優秀な人ほど、そうなりがちです。ただ、その延長線上に新規事業や事業拡大の可能性はないのです。

 チャンスはだれも踏襲していないところにあり、そのためには、どこか非常識な部分を持ち合わせていなくてはならない。もちろん、業界の常識や利益を出すための常識を理解する力は必要ですが、それでも、理解した瞬間から疑ってかかることが大切なのです。

 日本の教育は残念ながら、「すべき」の人を輩出する風潮がありますね。南場さんのお父様は厳しい方だったとお聞きしていますが、なぜ「やりたい」の人になったのでしょう。

 皆「間違わない」訓練を受けるうちに、正解を書いて丸をもらうことに一心不乱になっていきます。感動や驚きといった独自の考えを、広く他人に伝える訓練や経験をせずに大人になるわけです。感動を伝えられないから人を集められない。規格外のことに積極的に向かう姿勢が奨励されないので育まれない。だから優等生は、規格外の「私だけの」情熱を持ちにくくなる。人格形成期にそういう環境に置かれると、アントレプレナーシップを育むのはなかなか難しいと思います。

 私の家は父がいいと言えばいい、ダメと言えばダメ、それはもう厳しかったです。ただ、抑圧されて育ったからこそ、自由になりたい、あれもこれもやりたいという考えが強くなったのは逆によかったかもしれません。