漱石の理想
先生は、こう仰った。
「法人も目的を自分で創れる存在として法人があるというふうに、買い手側が思うレベルに来た時に、これが1つの会社が通常の会社からワン・ノッチ上がる会社になると思うんですね」
目的を創るとは、人々に「新しい価値」をもたらす存在になることである。そして、その価値を実現するべく、ビジネスを行うことである。カントの言葉を用いれば、「普遍的立法者」となり、同時にそれに「従うもの」になることである。これが熱狂(マニア)を生む。
グーグルであれば「世界中の情報を整理し、世界中の人々がアクセスできて使えるようにすること」を目指し、ジョブズのアップルは「リベラルアーツとテクノロジーの融合」を社会にもたらすこと自体を志向した。
これは、夏目漱石が理想と言ったものに他ならない。107年前の4月、上野の美術学校で、漱石はこう言った。
「理想とは何でもない。いかにして生存するがもっともよきかの問題に対して与えたる答案に過ぎんのであります。画家の画、文士の文、は皆この答案であります」(注5)
「どう生きるべきか」という人間の唯一の問題に、新しい答案を与えるからこそ、縁側で昼寝をしている文士は、派手に馬車を乗りまわす大臣や豪商に劣らない仕事であると言ったのだ。無限の選択肢の中で、特別な交換相手になるためには、熱狂(マニア)を生むためには、漱石と同じ仕事が必要とされる。
「新しい価値」をもたらす会社が強く欲されるのは、理性的な根拠を持つだけではない。人は頭だけでは熱狂しない。「新しい価値」を志向する会社が、居ても立ってもいられないほど人をワクワクさせ、熱狂(マニア)を生むのには、生物学的な根拠がある。
ヒトという動物は、「世界の新しい解釈」をもたらすものに、強い快感を持つような脳(古代脳のSEEKING回路(注6))を進化の遺物として持っている。既存の世界を新しく見せ換える「伝道師」の話を聞くとき、私たちは生物学的に強い快感を覚えるのである。
ビジネス書で語られないもう1つの要素、「ヒトの感情」について、それが次の話。
*次回は4月30日(水)公開予定。
【注】
(1)カント「人倫の形而上学の基礎付け」中公クラシックス、および岩井克人「資本主義から市民主義へ」新書館
(2)JobsによるiPad launchにおけるKeynote Speech, Apple
(3)バルガス・リョサ「密林の語り部」岩波文庫
(4)岩井克人「会社はこれからどうなるのか」平凡社
(5)夏目漱石「文芸の哲学的基礎」講談社学術文庫
(6)Jaak Panksepp, “The Archaeology of Mind”, W.W. Norton and Company
【連載バックナンバー】
第1回 グーグルの逆説:資本主義的でないものを追求し利益を上げる
第2回 選ばれるのではなく、任されること:無限の選択地獄での勝ち方