マザーハウスの創業メンバーに勝ちたい、三菱商事を半年で退社

――別のインタビューで、三菱商事を半年で離れた理由を「このままでは山口さんや山崎さんを超えられないから」とお話しされていたのが印象的でした。彼らにはあって、当時の迫さんになかったものは、何だと思いますか。

 その2人は創業者ということもあって、会社のミッションを達成することに人生を賭けていました。極端な話、それ以外のことはどうでもいい、とすら考えていると思います。一方、当時の自分には、なんとなく流されているところもありました。

 実は、UCLA(カリフォルニア大学ロサンゼルス校)に在籍していた4年生の途中まで、博士課程に進んで、社会学者になろうと思っていたんです。よくある話ですが、学生時代にインドに行ってボランティアをしたとき、自分の非力さを感じて、社会の仕組みを変えなければと考えたんですね。社会の構造を変えるなら社会学だ、いま思えば単純な動機だったと思います。

 ただ、いろいろな社会学者と話をするなかで、自分が思い描いていたものとは少し違う、学者になっても社会を変えられないと思い、別の道を探していました。そこから社会を変えているのは誰かと考えたとき、アメリカだとビル・ゲイツやスティーブ・ジョブズ、日本では松下幸之助や孫正義。そうだビジネスだ、ビジネスをしようと、それもまた単純ですよね(笑)。

 そのままアメリカで働く気持ちもありましたが、当時のアメリカはビザが厳しかったため、日本に戻ることを決めました。そうして、日本にいても海外に行ける仕事はなんだろうと考えたとき、外資系企業は本国の支社のため海外に行きにくい、どうやら商社だと海外に行けるらしい、それなら商社で一番いいところに入ろうと三菱商事に入社したんです。

――三菱商事に入社したときには、何をやりたいと思っていましたか。

 具体的に「これ!」というものはありませんでした。おそらく、それがダメだったのかなと思います。グローバルで活躍したい、新規事業を立ち上げるイケてるビジネスマンになりたい、その程度の漠然とした気持ちしかありません。そんな自分と確固たるミッションの達成に向かっている山口と山崎を比べたとき、このままここにいてはいけないと思い、退職を決意しました。

 退職してマザーハウスに入りましたが、そのときの自分を振り返ると、三菱商事にいたときと似たような迷いがあったと思います。いまのままでは創業者の2人には適わない。何で争っているのかはわかりませんが、とにかく勝ちたい、負けたくない。自分には何かが足りないことはわかっている、でも何が足りないのかわからない。そこで、とりあえず役立ちそうなものには何でも手を出していました。