正当性をいかに相手に伝えるか

 実は、こうした問題の根底には「正当性」を担保できない、という問題がある。つまり、「状況」と「目的」に照らせば、前例を変えたほうが「よい」(正当性がある)ことを示せなければ、特に税金で運営されているような組織は「そんな適当な思いつきで変えてよいのか」という批判を逃れられないことになる。「臨機応変」といえば聞こえはよいが、「ご都合主義」や「場当たり主義」と何が違うのかといわれると返答に困るだろう。実は、その差異は、「正当性があるか否か」なのである。したがって、正当性を担保できなければ、直観的によいと思ったことも押し進めることは難しくなるのだ。

 たとえば、「君、それが絶対にうまくいく保証はあるのかい?」「うまくいかなかったら誰がどう責任とるんだ、君だけの問題じゃ済まないんだよ」と上司に言われたものなら、どんなに良いアイディアだと思っていても、それを押し進めるのは容易なことではない。そのときに状況と目的に照らして、こちらのほうが「よい」こと、あるいは、明らかによいこの方法を採用しないことのほうが「責任問題になる」ことを論じるための“文法”がないことが根本的な問題だったのである。そしてその“枠組み”として「方法の原理」と「価値の原理」といった理路を用いるのが有効なのである。

 ちなみに、ほとんどの人は「絶対にうまくいく保証はあるのか」と言われると、「絶対にといわれると……」と返答に詰まってしまうものである。それはこの問いが「行動を抑制する」からだ。この種の問いは哲学的にいえば、「絶対性」を織り込んだ問いになっている。原理的に考えれば、「絶対」ということはありえない。人間に限界がある限り、絶対と思うことはできても、絶対であることを保証することはできない。あなたの会社が1年後、10年後に存在していることを、確信することはできても、絶対に存在しているということを保証することはできない。それと同じように、思慮深い人であるほど、「絶対にうまくいく保証はあるのか」といわれると、「そのような保証はできないのですが」といわざるをえないのである(いわゆる「哲学研究者」の多くが取り組んでいる「難問」もこの「絶対性が織り込まれたことによって生じた疑似難問」であることが多い)。

 このような場合も、「私は、状況と目的に照らしたら、この方法のほうがより有効ですよね、と提案させていただいたのですが、さらに有効な方法があれば、ぜひお聞かせいただけませんか」と言えば、建設的な議論に戻すことも可能になる。こうした「抑制する問い」を打破する際にも「方法の原理」は活用できるのである。

建設的に代案を出し合うためのスキーム

 また「方法の原理」を共有することは、建設的に議論を重ねるためにも有効である。一見すると「何でもいいから自由に意見を言い合いましょう」という姿勢は、とてもオープンで民主的なものにみえるが、実はこれは建設的な議論の方法としては機能しないことが多い。なぜなら、「完璧ではないと思います」「そういう話は好きじゃありません」「やめたほうがよい」といった抑制する意見は、理由も代案も述べる必要がなく、誰でも簡単にいえるため、そうした意見が出ることにより、議論が建設的に積み重なりにくいためである。