●大災難がチャンスを生む
壊滅的な出来事から驚くべき収穫がもたらされる場合があることを、フィレンツェは私たちに思い起こさせてくれる。この地で黒死病が多くの市民の命を奪ってから、わずか数十年後、しかもそれが一因となってルネサンスが花開いたのだ。疫病のあまりの威力によって、固定的な社会秩序が揺るがされることになり、新たに生まれた流動性が芸術と知の革命に直結した。
古代アテネも同様に、ペルシア人に侵攻された後に繁栄期を迎えた。大混乱期の後には必ずといってよいほど、創造性が呼び起こされる。イノベーターはこの教訓を我がものとすべきであり、常にこう自問する必要がある。「ここからどんなプラスが見出せるだろうか。この災難の只中にあって、どこにチャンスが隠れているだろうか」と。
デトロイトは、自動車産業の雇用減少に見舞われた後、「モーターシティ」からの脱却と再生に取り組んでいる。またニューオーリンズは、ハリケーン・カトリーナに襲われた後、ゆっくりとだが着実に再生への取り組みを進めている。過去の栄光(そしておそらくは幻想)を取り戻そうとしてはならない。代わりに、破滅的状況を利用してまったく新しい何かを生み出すのだ。
●競争を奨励する
ルネサンス期のフィレンツェは、競争と確執で溢れていた。当時の2大巨匠、ダ・ヴィンチとミケランジェロは仲が悪かったが、そのライバル意識がおそらく原動力となり、ともにあれほど素晴らしい作品を生み出したのだろう。
ロレンツォ・ギベルティとフィリッポ・ブルネレスキの数十年にわたる確執も、同じ効果をもたらした。フィレンツェにあるサン・ジョヴァンニ洗礼堂の扉(「天国への門」)の制作者選考で、ギベルティに敗れたブルネレスキは、ローマへと旅立ちパンテオンなどの古代建築について学ぶ。そこで得た知見をフィレンツェに持ち帰り、同市のシンボルとなる歴史的建造物、ドゥオーモ(サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂)を建設した。
フィレンツェ人は、健全な競争には価値があることを理解していた。私たち現代人も同じように、「勝者」と「敗者」の両方が競争から恩恵を得ると認識するのが賢明だろう。
●アイデアを広く探索し、統合する
当時のフィレンツェは民主主義制ではなかったが、指導者たちは新鮮な人材とアイデアを定期的に取り込むことの重要性を認識していた。
ドゥオーモの丸屋根は、いまではフィレンツェの顔として中心部から街を見下ろしている。当時この部分の建設は、「オペラ・デル・ドゥオーモ」と呼ばれる管理委員会によって監督されていた。その規約では、委員会がどれほどうまく運営されていても、上層部のメンバーは数ヵ月ごとに交代するよう定められていた。創造活動は、現状への満足によってあっという間に、完全に損なわれてしまうことを委員たちは知っていたのだ。
フィレンツェ人(特にメディチ家)は、インスピレーションの源泉として異文化や過去にも目を向けた。古代ギリシャ・ローマの貴重な文献を探し求めて、広くさまざまな地域に使節を派遣した。これは安くはなかった。というのも、たった1点の文献が、現代に換算すると車1台の値段に相当したのだ。したがってすべての取引が慎重に判断され、潜在的価値が入念に検討された。
イノベーションとはアイデアの組み合わせであり、そこには新たな発想もあれば、借り物があっても構わない。そのことをフィレンツェ人は知っていたのである。
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エリック・ワイナー(Eric Weiner)
NPR(全米公共ラジオ)の元海外特派員。著書にThe Geography of Genius: A Search for the World's Most Creative Places, from Ancient Athens to Silicon Valley、既刊邦訳に『世界しあわせ紀行』がある。