すべてがマーケティング
マーケティングがすべて

 いつの時代にあっても、マーケティングは再発見される。そのたびに新語やツールが紹介され、あたかもカレイドスコープ(万華鏡)が見せる模様のように様変わりする。とりわけ変革期には、「マーケティング志向の組織へ変わらなければならない」とその必要性が説かれてきた。

 では、なぜマーケティングは不在なのか。理想のマーケティングと現実のそれはどれくらい乖離しているのか。そもそもその本質とは何なのか。

 セオドア・レビットは、「マーケティング界のドラッカー」とも称されることからも、学術研究よりも実学に貢献してきた人物である。その著作はアメリカのみならず、日本やヨーロッパでも広く流通し、数々の賞を受賞してきた。

 マーケティング史上、あまりに有名な「マーケティング近視眼」[注1]は1960年に執筆された歴史的な論考だが、これまで何百万人ものビジネスマンに影響を与え、いまなお多くのビジネススクールや企業内大学でテキストとして活用されている。

 あらゆる著作において、レビットは「顧客は商品を買うのではない。その商品が提供するベネフィットを購入しているのだ」と訴え続けてきた。

 現在、マーケティングを再発見しなければならない時期が訪れている。これまでの轍を避けるならば、最新理論を考察するよりも、レビットの主張にいま一度耳を傾けたい。道に迷った時は出発点に戻るのが何よりの最善策である。

DHBR(以下色文字):あなたはこれまでに10余冊の書籍、数十の論考を執筆し、スタンダード・オイルをはじめ、数多くのアメリカ企業にその慧眼と知見を提供してきました。

 アメリカ同様、日本でも──残念ながら若いビジネスマンにあなたの存在を知る者は少ないですが──あなたの信奉者は数多くおります。