スタンレーとジョエル・リーマンは共著Why Greatness Cannot Be Planned: The Myth of the Objectiveの中で上記の研究を提示し、この問題は人間にとっても重大な示唆になると論じている。私たちも前述のロボットのように、前もって定められたゴールの代わりに、新しくてユニークな方向を追い求めれば、より良い結果を出せるということだ。
もちろん、人や組織を再プログラミングするのは簡単ではない。ビジネス界の聖典の1つにピーター・ドラッカーの古典名著『現代の経営』があるが、ここで「目標による管理(MBO:Management By Objective)」というコンセプトが初めて紹介された。
MBOを基盤としてヒューレット・パッカードの「HPウェイ」を築いたデイビッド・パッカードは、MBOを次のように説明している。「このシステムでは全体的な目標が明文化され、合意される。人々にはそれらの目標に向けて柔軟に取り組ませ、各自が担当領域に最も適したやり方を自主的に決める」
現代のマネジャーの大半は、これを当たり前のことと考える。もちろん、ゴールは明確にすべきであり、そうしなければ仕事の優先順位づけも会社の経営もできない。四半期・年次の全社目標とグループ目標があり、プロジェクトごとの目標があり、また個人の目標がある。それらが査定され、達成度に応じて報酬を受ける。
官僚的な大企業では、中間管理職の典型的な目標はこんな感じだろうか。「管轄するプロジェクト群において、合意されたスケジュールと優先順位に沿って最適なサポートを与えるよう万全を期すこと」。これには、各プロジェクト固有の目標がさらに20個ほど連なるかもしれない。たとえば「プリンターファームウェアのアップデートに関する部門横断的な連携プランを、綿密かつタイムリーに示すこと」などだ。
今日のデータ駆動型社会では、組織は、目標への進捗を測る指標をかつてないほど重視しているように見える。望ましい結果に向かって進んでいるかどうか、どれだけ迅速に進んでいるかを、誰もが知りたがっているのだ。
だが、スタンレーの研究は次のことを示している。目標への執着はプラス以上にマイナスをもたらすおそれがあり、個人、チーム、そして会社が徐々に停滞する原因になりかねないということだ。
発明にまつわる統計やエピソードも、この見解を裏付けている。複数の報告によれば、発明の半数は直接的な研究の成果ではなく、セレンディピティ(思いがけない幸運な発見)の産物だという(英語記事)。つまり、興味深くて予想外の結果を受け入れたからである。
ほんの数例を挙げよう。バイアグラは元々、胸の痛みを引き起こす狭心症の治療を目的に開発された。LSD(幻覚剤)はライム麦由来の麦角菌から合成されたものだが、当初の目的は呼吸器系薬剤の開発であった。YouTubeは最初、出会い系サイトとして考え出された。
これらのプロジェクトに取り組んだ人たちは、当初の目標のみに専念する代わりに(そしておそらく、その目標を達成できなかったがゆえに)、道から外れることをみずからに許した。その過程で、別の画期的な薬剤やテクノロジーを創出するに至ったのだ。
R&D部門を除き、組織や個々のリーダーが「新しくてユニークな何かを発見すること」以外の目標を伴わないプロジェクトにゴーサインを出すことは、想像しにくい。だが、この発想の転換こそ私たちに必要なものであろう。特定の目標を明確に定めて追求することに、多くの時間を費やせば費やすほど、とてつもない何かを達成する可能性は減っていくのだ。
HBR.ORG原文:How Overfocusing on Goals Can Hold Us Back March 17, 2016
■こちらの記事もおすすめします
経済主義 vs. 人間主義 2つの「目標による管理」
カント、ドラッカー、小林秀雄に学ぶ 人間主義的な「目標による管理」とは
失敗について話そう――それが人を惹きつける

アンドリュー・J・スマート(Andrew J. Smart)
人間工学のリサーチ・サイエンティスト。著書にBeyond Zero and One(OR Books, 2015)、Autopilot(邦訳『できる人はダラダラ上手: アイデアを生む脳のオートパイロット機能』草思社、2014年)がある。