「和気あいあい」を体現する明るい現場
ワークショップはいつものように絵の鑑賞からスタート、続いて描き方の説明へと移っていきます。ホワイトシップのアーティスト谷澤邦彦さん(kuniさん)が、参加者のみなさんに「絵を描くのは久しぶりですか?」と尋ねます。
「記憶に残っていないですねえ」
そう答えるのは安渕さん。Kuniさんが続けます。
「中学生までは授業で絵を描く機会もありますが、高校生になると美術は選択科目になってしまいますからね。選択しなかった人は、何十年ぶりでしょうか」
その言葉に、全員が大きくうなずいています。
kuniさんは、絵を描くことに慣れていない参加者のために、実際に使うパステルという画材で、実際に使用する正方形の画用紙に色をつけて見本を見せていきます。赤い色の画用紙に白いパステルを乗せると、白が際立って見えます。
「おおっ」
画用紙に塗ったパステルを、kuniさんが指でこすります。生き生きとした白が、こすることによって少しだけくすんで見えるようになります。
「へえぇ」
その白い部分に別の色のパステルを乗せ、さらにこすると、2色のパステルはきれいなグラデーションになります。
「ほう」
参加者の反応を見たKuniさんは、いつものように「これを『こすリング』と言うんですね」とギャグを飛ばします。
「(笑)」
反応は上々です。描き終えたあとに、正方形の画用紙を回します。正方形の画用紙を使っているので、4辺のどこを上にしても絵としては成り立ちます。どの方向がいちばんしっくりくるか、最後に確認してくださいと言ったあと、kuniさんは「これを『まわシング』と言うんです」とこの日2つめのギャグを飛ばしました。
「(大笑)」
参加者は、ひとつひとつの説明に対して、見事な反応を見せます。Kuniさんのギャグに対しても、過去最高とも思えるほどの笑いが起こりました。それもこれも、安渕さんが中心となって構築した、和やかな雰囲気が寄与しているように見えました。
Kuniさんの説明が終わり、この日のテーマ「働くうえで大切にしていること」が発表されました。いよいよ実際に描こうという直前、長谷部さんが参加者に声をかけます。
「これまでにない和やかな雰囲気なので、絵を描いているときは私語をせず、ぜひ集中してくださいね」
長谷部さんがクギを刺すほどの楽しげな雰囲気のなか、この日の描く時間が始まりました。長谷部さんの言葉が効いたのでしょうか。描く時間が始まると、全員が無言になりました。しかしよく見ると、ただ黙っているだけではありません。全員が全員、絵に没頭しているのです。集中というより、没頭という表現がふさわしい。そんな状態です。
ひと際目立ったのは、田中さんです。
パステルを画用紙にこすりつけるときは「カッ、カッ、カッ」と誰よりも大きな音をたて、指で「こすリング」するときも、指と画用紙のこすれる音が会場に響き渡ります。こすった箇所に濃淡の変化を持たせるためでしょうか。時折「消しゴム」で画用紙をたたく音が、さらに大きな音になって響いています。
田中さん本人は夢中になるあまり、自分が大きな音を立てていることに気づいていません。周囲で描いている4人にも聞こえているはずなのですが、それを気にするふうでもありません。すべての参加者が、自分の絵にのめり込んでいます。
目安とされた40分は、あっという間に過ぎました。
村瀬さんがパステルを定着させるスプレーをかけ、最初に描く作業を終えました。
これまでのパターンでは、誰かひとりが描き終わると、それに引っ張られるように次々と終える人が出てくるものです。しかし、村瀬さんが終えてもほかの4人はペースを崩すことはありません。相変わらず、ただ黙々と描き続けています。
村瀬さんの次に描き終えたのは池田さん。その間5分もの時間が空きました。
残った3人は、まだ粘っています。さらにその5分後に安渕さん、それから2分後に大橋さんが描き終えました。最後にパステルを置いたのは、激しく描き続けていた田中さんです。村瀬さんが描き終えてから、実に13分が経過していました。ここまで間が開いたのも、初めてのことです。