ファイブ・フォース分析の意義と限界
では、それぞれの産業や、その中に存在するそれぞれの戦略グループの収益性をどのように分析すればよいのか。それを検討するために実務家に向けて提示されたのが、 ファイブ・フォース分析である。
このフレームワークは、前述の「産業組織論の経営戦略への貢献」と同じ1979年に、『ハーバード・ビジネス・レビュー』に「How Competitive Forces shape strategy(5つの環境要因を競争戦略にどう取り込むか)』というタイトルで発表された。この論文は、同誌の年間最優秀論文賞(マッキンゼー賞)を受賞し、実務家の大きな注目を浴びた(マッキンゼー賞受賞は、翌年出版された『Competitive Strategy(競争の戦略)』[注13]が世界的ベストセラーとなった理由でもあるだろう)
この考え方は、BCGマトリックスのように、産業内部の競争を単純化する事業管理の考え方に対して、産業内の競争という、より実態に即した答えを提示した。それは、アンゾフ以降に複雑化しすぎた経営戦略の議論にはなかったシンプルな回答であったため、それを探し求めていた実務家から圧倒的な支持を集めた。
ファイブ・フォース分析の議論はまず、自社が置かれている競争環境を、その特性を左右する5つの要因から分析して理解することから始まる。そのうえで、できる限り産業の魅力度が高い事業領域を選択する。そして、選択した産業の魅力度を高く保全できるように多様な打ち手を設計すべきである、という考え方である。
前述した通り、ポーターが示した5つの要因とは、(1)企業間競争、(2)売り手の交渉力、(3)買い手の交渉力、(4)新規参入の脅威、(5)代替品の脅威である。そして、5つの要因それぞれが、自社が属する産業や戦略グループの構造的な収益性を決める(図5参照)。
図5:ファイブ・フォース分析の5つの要因

出典: Porter, M. E. 1979. How competitive forces shape strategy. Harvard Business Review, 57(2): 137-45, p. 141.
これら5つの要因を理解することで、自社の置かれた経営環境を細緻に理解できる。また、それぞれに作用する適切な打ち手を設計することで、自社が直面する競争環境をより有利なものにできる。したがって、企業が第一にすべきことは、自社にとってできる限り有利となる事業領域や事業モデルを設計することである。そのうえで、それらが自社に有利な方向に変化するように、多様な打ち手を検討することとである。
本稿では、5つの要因に関する詳細な解説は経営戦略の教科書に譲り、このフレームワークを実務で活用するうえで留意すべき点を議論したい。
この分析を用いる際には、いくつかの重要な注意事項がある。これを理解するためには、2008年、ポーターが『ハーバード・ビジネス・レビュー』に寄稿した「The Five Competitive Forces that Shape Strategy(戦略を導く5つの競争要因)」という論文が参考になる。
この論文によれば、ファイブ・フォース分析は、企業が現在直面している競争だけではなく、新規参入や代替品の脅威など、将来訪れる脅威に関する分析を行う点に価値があるという。同時に、実務家が目に見える要因だけに囚われずに、影響を与えうる多様な要因を網羅的に検討できる点もその価値だと言及する。
ただし、まず産業の収益性を決定づける構造的な要因を分析するために、短期ではなく長期的な構造変化を理解すべきだという。そして、単にその産業が現時点で魅力的か否かを判断するのではなく、利益率の背景に存在する根源的な要因と、競争要因を理解することが肝要であると説く。
そのうえで、定性的な理解だけではなく、市場参加者の財務諸表にまで踏み込み、産業構造を決定づける要因が実際にどれだけ数字に影響を与えるかを理解する必要性を述べる。さらに、最終的に価値ある分析とは、単に良い点と悪い点を列挙するではなく、全体を統合した戦略的な洞察を導き出すことだとポーターは言う。
また、早稲田大学の入山章栄准教授は、ファイブ・フォース分析を用いる際には、複層的な産業構造を理解し、複数の階層・レベルでそれぞれ分析を行うべきであるとする[注14]。同一産業内においても、5つの力が異なる働きを示す場所は必ず存在する。それを見定めるためには、産業レベルの分析だけでは不十分である。産業内のそれぞれのセグメントに対してこの分析を行うことで、より粒度の高い競争環境の理解が可能となる。
残念ながら、こうした「正しい使い方」が守られているかと言われれば、疑問を抱かざるを得ない。現実には、ポーターの期待とはかけ離れた利用がされているのが現状ではないか。
なお同論文では、よくある間違い(Common pitfalls)として以下の7つが列挙されている。
1. 産業の定義が広すぎるか、狭すぎる
2. 要因だけが列挙されており、厳格な分析がされていない
3. すべての要因を平等に扱い、重要な要因を深掘りできていない
4. 結果(例:価格弾力性)と原因(例:買い手の購買要因)を混同している
5. 単年の統計数字を用いて、業界トレンドを無視している
6. 一時的あるいは周期的な変化と真に、構造的な変化を混同している
7. 戦略的決定のためではなく、ただ業界の魅力度を判断しようとしている
ファイブ・フォース分析は、応用可能性が高いフレームワークであるがゆえに、実務の1つひとつに深く適合して利用できる考え方ではない。ここで列挙したポイントも、このフレームワークが普遍性を持つがゆえに生じる限界である。テンプレートを埋めるかのように情報を列挙しても、ファイブ・フォース分析が価値を生み出さないのは、ポーターも指摘する通りである。
ただ、それがまったく役立たないというわけではない。あくまで議論の出発点として、思考を手助けするツールとして適切に用いれば、この分析は十分に価値を持つ。
外部環境分析は進化する:
マクロ要因、非市場要因、メガトレンド
ファイブ・フォース分析を実用する際は、産業構造を複層的にとらえる必要があるのは前述の通りである。ただし、それだけでは十分ではなく、よりマクロ的な要因に関しては異なる考え方の活用が求められる。なぜなら、ときに大きな社会経済の変化の流れが、中長期的にあらゆる産業のあり方を劇的に変容させるからである。
目の前の産業構造や事業の連続的な変化ばかりに注力していると、その変化に気づくことは難しい。たとえ気づいたとしても、その頃には手遅れになっている可能性すらある。したがって、外部環境を分析する際には、マクロ的な環境全体の傾向、そして国家や世界全体に影響しうる潮流までを理解したうえで、個別具体的な産業構造の分析に取り組むのが望ましい。
マクロ的な環境要因の理解でよく活用されるのは、「PESTLE分析」と呼ばれる考え方である。これは“Political(政治的)”、“Economical(経済的)”、“Social(社会的)”, “Technological(技術的)”、“Environmental(環境)”、“Legal(法規制)”の頭文字を取ったもので、企業が事業を行う市場の状況に影響を与えうる各種要因を整理している。
昨今、新興国市場の重要性が増しているが、その市場は先進国とはまったく異なる社会経済環境に置かれている。そのため、その産業や市場が存在する社会・経済の特性を取り扱う非市場要因の重要性が指摘されてきた。当然、自社が慣れ親しんだマクロ環境下で経営戦略を検討する際にも、目の前の産業構造のみならず、それに間接的な影響を与えうるマクロ要因の分析を欠かすことができない。
日本を例に挙げれば、少子高齢化でシニア層の購買力をめぐる競争が激化し、子ども一人当たりに家庭が支出できる金額が上昇するかもしれない。労働者人口が頭打ちで政府債務が積み上がるなか、公共事業に関連する産業には苦しい時代が訪れる可能性もある。また、Airbnb(エアビーアンドビー)やUber(ウーバー)のような新サービスが、どの程度自社に影響を与えるかは、法律がどう整備されるかに大きく影響される。このようにマクロ要因とは、一見すると無関係のようでありながら、実は企業経営に重大な影響をもたらす長期的な市場変動の原因である。
また、市場競争の外に存在する非市場要因も無視できない。企業や顧客の属人的なつながりであったり、ある社会に慣習や規範として存在する行動原理であったりも影響をおよぼす。
たとえば、日本で競争する製薬会社は、製薬業界に影響力を持つ大学病院の著名な医師に対して積極的な支援を行うことがある。それは、その医師が影響力を行使することにより、自社の製品をその医師と関係する多数の病院・医院に導入できる可能性があるからだ。また、たとえば中東で事業を展開する際には、王族の影響力を無視することはできない。一旦は実務家の間で合意に至ったと思われた案件であっても、その合意が地域の実力者の意向と反するものであれば、いつそれが反故にされるかはわからないのである。
こうしたマクロ環境や非市場要因は、超長期的で大規模な社会経済の流れ、いわゆる「メガトレンド」や「グローバルトレンド」と呼ばれる大きな時代の流れに影響される。それは、目の前の外部環境をいつの間にか変容させてしまう、社会経済の大きな変化の潮流である。
近年では、直接的に把握しうるマクロ要因以上に、それらに包括的な影響を与える大きな潮流を理解し、その影響を議論する重要性が理解され始めている。たとえば、マッキンゼー・アンド・カンパニーが2015年に出版した『No Ordinary Disruption(非正常の断絶)』は、こうした大きな潮流を「グローバル・フォース」と名付け、近未来の世界を左右するであろうグローバル・フォースを4つ提示した。
1. 新興国の成長(The rise of emerging markets)
2. 技術による市場競争の変化(The accelerating impact of technology on the natural forces of market competition)
3. 世界人口の高齢化(An aging world population)
4. 商品、資本、人の流通の加速(Accelerating flows of trade, capital and people)
こうした大きな時代の流れは、理解されているようで十分には理解されていない。データを元にして論理的に検討できる目の前の競争と、それが存在する産業構造の理解が最も重要であることは自明である。しかし、その背景にある大きな流れを掴まなければ、その産業構造がなぜ誕生したのか、この先どうなるのか、に関する適切な理解を導くことはできない。
現代の外部環境分析は未知を織り込む
もちろん現実には、こうした大きな変化を予測することは不可能に近い。不確実性が高く、過去の延長線上に未来が存在しない昨今において、特にそれは難しい。しかし、外部環境から自社の将来像を導き出すためには、ある程度の不確実性を許容しながらも、未来の産業構造やマクロ環境を予測しながら経営戦略を立案する必要がある。
1985年、『競争の戦略』から5年後、ポーターは『Competitive Advantage(競争優位の戦略)』[注15]を出版した。同書では『競争の戦略』の多くの弱点に回答するなかで、未来予測をするうえで不可避の不確実性にどう対応するかについては、シナリオ分析を用いることで対応できると解説している。
シナリオ分析とは、1970年代初頭、石油会社のシェルが導入したマクロ環境予測の手法である。拙著『領域を超える経営学』(ダイヤモンド社、2004年)の第22章でも紹介したが、これは未来を決め打ちで予測するのではなく、いくつかの起こりうるパターンとして予測する手法である。
シナリオ分析は、現在の延長線上にある未来だけを検討するのではなく、図3で示すシナリオCやシナリオDなどのように、非線形に状況が変わりうる可能性まで取り込んで未来の動きを検討する(図6参照)。
図6:シナリオ分析の捉える時間軸

出典:筆者作成
いま、何が、目の前に存在しているかに着目するだけでは、真のマクロ環境の未来にたどり着けない。同様に、非線形に刻一刻と状況が変わりゆく産業構造を理解するためには、過去の分析のみに頼っては不十分である。自社が属する戦略グループ、産業、そしてマクロ環境の現状を網羅的に理解したうえで、その変化を一定の不確実性を許容しつつ予測して、適切な戦略的意思決定に結びつけることが求められる。
現代という変化の激しい環境下で外部環境を基に戦略を検討するためには、それが不確実性に溢れているという事実を許容する方法論を駆使する必要がある。
[注14]入山章栄、ポーターのフレームワークを覚えるよりも大切なこと、Diamond Harvard Business Review, Nov 2014, pp. 126-137.