ポーター理論の基礎は
SCPモデルにある
ポーターは、社会的厚生を最大化するための立論を中心とする産業組織論の知見を、企業戦略の立案に応用した。第1に、できる限り自社にとっても望ましい業界構造を持つ事業領域を理解すること。第2に、できる限り自社にとって望ましい業界構造を能動的に手に入れること。これらを外部環境から経営戦略を検討する考え方として体系化し、手法として確立した。
その直接的な源流となったのが、「SCPモデル」である。このモデルは、前述した不完全競争の議論の発展を受けて、それを企業行動とその収益に直接的に結びつけて議論する潮流から生まれた。ポーターはさらに、SCPモデルを拡張することで、それを経営戦略にまで結びつけた。
SCPモデルの起源は、エドワード・メイソンによる1939年の論文[注7]に遡り、さらにジョー・ベインによる1956年の著作[注8]を通じてその体系化が行われている。その後、このモデルを経営戦略に取り入れた代表的な人物こそ、他でもないポーターであった。
SCPとは、“Structure-Conduct-Performance”の略である。“Structure”とは産業構造を指し、その業界がどのような特性を持っているかを示すさまざまな指標で評価される。また“Conduct”とは企業行動であり、その業界における企業の典型的な行動様式がどのようなものかを検討する。そして“Performance”とは、文字通り業績や利潤といった企業のパフォーマンスを指し、第1に業界全体の平均的な利益率、第2に個別企業それぞれの業績や利潤を示す。すなわちSCPモデルとは、産業構造、企業行動、パフォーマンスがどのように結びついているかを議論するためのものである。
SCPモデルは元来、産業構造が企業行動の制約条件として存在することを前提としていた。企業は制約条件の元で最適な行動を選択して行動せざるをえないために、その長期的なパフォーマンスはおのずと業界全体の平均的なパフォーマンスに収斂する傾向があると説明していたのである。これは、産業構造と企業の利潤の関係を数理モデルで分析する、古典的な産業組織論の考え方と一致する。
ポーターの最大の学術的貢献は、この考え方を経営戦略に取り入れて発展させたことにある。彼が1981年に『アカデミー・オブ・マネジメント・レビュー』に掲載した「The Contributions of Industrial Organization To Strategic Management(産業組織論の経営戦略への貢献)」という論文は、産業組織論の理論形態を経営戦略に導入し、外部環境の分析から経営戦略を立案する考え方の礎となった(この論文は1979年8月にアトランタで開催された米国経営学会で初めて発表された、ポーターの学術的貢献を概観できる資料である)。
その論文の冒頭で、ポーターはこう述べている。
「産業組織論を研究する経済学者も、経営戦略を研究する経営学者も、これまでその大半は互いを懐疑的に見るか、そもそも互いの存在を認知していなかった」
Porter M. E. 1981. The Contributions of Industrial Organization To Strategic Management. Academy of Management Review 6(4): 609-620. pp. 609.
たしかに、当時は産業組織論の知見が政策立案の参考とされることはあっても、経営戦略を立案する現場で活用されることはほとんどなかった。しかし、1970年代後半から産業組織論に言及する経営戦略の議論が増え始め、各地のビジネススクールで採用されるようになると、次第に産業組織論の知見が経営戦略検討の中核として捉えられるようになる[注9]。
ポーターによれば、それには以下の7つの変化が背景にあるという。
1. 企業レベルの分析の一般化:戦略グループ研究に代表されるように、産業レベルだけではなく、産業内の個別企業の動態の分析が進んだ。
2. 市場参加者が相互に影響し合うという前提:市場参加者が相互に独立せず、それらがときに同調することの理解が進んだ。
3. 動的なモデルへの拡張:静的なモデルだけでなく、 産業の成長や衰退といった動的な要因を考慮したモデルの検討が進んだ。
4. 企業が産業構造を変えるという理解:企業行動とそのパフォーマンスが産業構造自体を変えうるという理解が進んだ。
5. 個別企業の競争や取引の関係を分析:需給関係のみならず、供給者や買い手の交渉力まで、個別企業の競争力の検討が進んだ。
6. より細緻な分析の発展: たとえ政策提言を目的とした分析でも、より細緻な分析と議論が求められるようになった。
7. 企業の競争行動に対する理論化:ゲーム理論に代表されるように、企業間の競争行動を取り入れた定量モデルの研究が進んだ。
特に強調されているのは、第4のポイントである。前述した通り、ベインとメイソンの時代の産業組織論では、産業構造が企業行動を決め、それがパフォーマンスに影響を与えるという一方通行の議論が中心であった。しかし、産業組織論の研究が進展することによって、パフォーマンスの差異からもたらされる企業行動が、逆に産業構造を変えうるという理解を促進させたといえる(図3参照)。
図3:伝統的なSCPモデルとポーターの時代のSCPモデル

ベインとメイソンが議論した1950年代から1960年代のSCPモデル(上)と1970年代に議論され始めた修正版のSCPモデル(下)
出典:Porter, M. E. 1981. The Contributions of Industrial Organization To Strategic Management. Academy of Management Review, 6(4): 609-20: pp. 611 および pp. 616より作成
産業構造が企業行動を決め、それがパフォーマンスにつながるという一方向の理解だけでは、この考え方がこれほど注目を浴びることはなかっただろう。極めて重要な変化は、企業がみずから行動を起こすことで、1つの産業の内部においても、自社が直面する産業構造を選択できる可能性が示されたことである。
たしかに、チェンバレンやそれに続く研究もすでに、企業の能動的な行動を説明していた。しかし、ポーターはそれとは異なる角度から、企業が1つの産業の内部で自社の「ポジショニング」を変更させることで、自社が直面する産業構造を主体的に変えうることを示した。そして、それを体系化し、実務家でも使いこなせるシンプルなフレームワークに落とし込むことにより、その考え方を広く普及させることに成功したのである。
ポーターとケイブスの貢献は
産業組織論を経営戦略に応用したこと
では、1つの産業の内部においても、自社が直面する産業構造を選択できるとは、何を意味するのだろうか。
ベインやメイソンが議論していた時代のSCPモデルは、企業がそう簡単には自分が属する産業を変えることはできないという理解から、産業構造が企業行動とパフォーマンスを一方的に決めるという暗黙の前提を置いていた。すなわち、寡占企業や独占企業を除き、産業構造は企業がコントロールできる変数とは思われていなかった。
しかし、ポーターはSCPモデルの発展を参照しながら、それを拡張した。特定の産業構造下においても、企業の戦略的意思決定によって収益性の異なる産業内の位置に自社を「ポジショニング」できると説明したのである。
この考えの原点は、ポーターがリチャード・ケイブスと共同で発表した1977年の論文[注10]に見ることができる[注11]。
従来は、1つの産業内にあるすべての企業は同質的な産業構造下にある、という理解であったのに対して、この論文では、1つの産業内でもその行動特性ごとに異なる企業の集団(グループ)が存在し、そのグループはそれぞれ別の競争構造に置かれていると説明する。産業全体の参入障壁とは別に、産業内に似た企業同士のグループが存在するという前提を置き、そのグループ間には移動の壁、すなわち「移動障壁」が存在するとした(図4)。これは産業全体に対する企業の入退出と、それに伴う「参入障壁」の知見を、産業内部の企業行動の説明に応用した点で画期的であった。
図4:伝統的なSCPモデルとケイブスとポーターの議論の比較

出典: 入山章栄、「ポーターの戦略」の根底にあるものは何か、Diamond Harvard Business Review, Oct 2014, pp. 128-136.のp. 135を参照。一部著者改変 。
たとえば、腕時計産業について考えてみよう。そこには、高級ブランドや機械式時計のような、高付加価値の商品を提供することで差別化を図る企業のグループが存在する一方で、クォーツ式の大量生産の時計を提供するような低価格戦略を取る企業グループもある。また、機能性やファッション性を追求することによって、限られた顧客層に製品を提供するフォーカス戦略を採用する企業もあるだろう。
このように同じ産業内で異なる収益性を持つ企業が併存する状況を説明するために、ケイブスとポーターは、同じ戦略の方向性を持つ企業を1つのグループとして、産業内に複数のグループが併存する環境を解説する。腕時計の例で考えれば、高付加価値の商品を提供するグループ(差別化戦略を取るグループ)、低価格の商品を提供するグループ(コストリーダーシップ戦略を取るグループ)、特定の顧客に注力するグループ(集中戦略を取るグループ)の3つがあると解釈できる。
さらにケイブスとポーターは、あるグループから別のグループに移動するには、移動障壁(Barriers to mobility)が存在すると説明する。彼らは、その特性をベインやメイソンから始まる産業全体に関する参入障壁の知見を応用して説明し、産業内で企業が「ポジショニング」を変えることを理論化した。
移動障壁の概念を導入すれば、同じ産業構造の中でも、特定のポジショニングのほうが他のポジショニングよりも移動しにくいこと、すなわち企業の数が少なくなり競争が不全となりうることが理解できる。そして競争が不全であれば、独占や寡占の状況が生まれ、そのポジショニングを取る企業が高い利潤を得ることが可能になる。つまり、同じ産業構造下においても、企業のポジショニングによってパフォーマンスが変わりうることが説明できる。
その後、ポーターはこの議論をさらに拡張し、より高い移動障壁を持つポジショニングを取ることが理想であり、その理想の類型を3つに整理することによって、前述の差別化戦略、コストリーダーシップ戦略、集中戦略という3つの基本戦略を提唱するに至った。
なお、産業内で同質的な行動を取る企業の集団は、戦略グループ(Strategic group)とも呼ばれる。これはマイケル・ハントによる1972年の博士論文で初めて導入された言葉である。ハントは、コスト構造、差別化の程度、垂直統合の程度、製品多角化の程度、組織構造、管理構造、その戦略的な趣向など多面的な側面から、同一産業内の企業は複数のグループに分類できるとした[注12]。
ポーターとケイブスは戦略グループの概念と同じ着想から、1つの産業内でSCPモデルを応用する可能性を切り開いた。1つの産業構造(S)から導き出される企業行動(C)は1つではなく複数存在し、どの企業行動を選択するかで企業のパフォーマンス(P)は変わるという知見を理論化したのである。
業界内の戦略グループを選択すること、それはすなわち、自社を業界内の特定の戦略グループに「ポジショニング」することである。1つの産業構造においても、その中で特定のポジションを築き上げることで移動障壁をつくり出し、企業が異なるパフォーマンスを得られる可能性があると主張した。
この論文が優れているのは、不完全競争および産業組織論における参入障壁の議論を応用することで、ある産業内に存在する企業が取るべき最適解を(可能かどうかは別として)提示できる点にある。それは極めてシンプルであり、「可能な限り移動障壁(すなわち参入障壁)が高く、したがって多くの場合は同グループ内の企業数が少ない戦略グループを選択すべき」というものである。つまり、特定の産業内に存在する競合他社にとって、実行がより困難な選択肢を選ぶべきであるという。
たとえば、製品の性能面で他社には真似できない差別化ができるのであれば、それを追求することで独占の超過利潤を享受できる。また、他社が真似できないほどの低価格化を実現できるのであれば、それも追求することで独占の超過利潤を得ることができるだろう。
いま聞くと、特別なことはなにもない。他社にできないことをすべきという、当然の選択を説明できるだけである。しかし当時は、産業レベルの分析で得られた知見をもとに、パフォーマンス(P)を元に選択した企業行動(C)から産業構造(S)を選べるという考え方は、極めて先駆的であった。特定の産業で事業を営むことを所与の条件としつつも、企業が能動的に自社の立ち位置を選択できる可能性が提示されたことで、産業組織論の知見を経営戦略に応用する大きな鉱脈が切り開かれたのである。
[注8]Bain, J. S. 1956. Barriers to New Competition: Their Character and Consequences in Manufacturing Industries. Cambridge: Harvard University Press.
[注9]ポーターは、自身が1975年にハーバード・ビジネス・スクールのケース教材としてまとめた「Note on the Structural Analysis of Industries(産業構造分析の要点)」が、産業組織論を経営戦略(ビジネスポリシー)の議論に翻訳した最初期の資料であると説明する。なお、ポー ターが講義で使用し始めた(originally written)のは1974年であると論文では書かれており、この教材は現在もハーバード・ビジネス・スクールで利用されていると聞く(参 照:https://cb.hbsp.harvard.edu/cbmp/product/376054-PDF-ENG)
[注11]完全競争から不完全競争、そしてSCPモデルに至る発展に関しては、早稲田大学の入山章栄准教授の連載が参考になる。入山章栄、「ポーターの戦略」の根底にあるものは何か、Diamond Harvard Business Review, Oct 2014, pp. 128-136.
[注12]Hunt, M. S. 1972. Competition in the Major Home Appliance Industry 1960-1970. Unpublished doctoral dissertation, Harvard University.