なぜ、同じ「経営」をテーマとしながらも、経営の実務と学問としての経営戦略の間には、これほどまでに大きな隔たりが存在するのか。本連載では、長く実務の世界に身を置きながら、学問としての経営学を探究し続ける、慶應義塾大学准教授の琴坂将広氏が、実務と学問の橋渡しを目指す。第5回は、外部環境から経営戦略を考える流れがいかに生まれたのかを、マイケル・ポーターによるファイブ・フォース分析を中心に考える。ポーター理論の原点はどこにあり、いかなる発展を遂げたのだろうか。
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  前回は、「経営戦略の父」と称されるイゴール・アンゾフの登場から、コンサルティング会社やビジネススクールの台頭に触れ、マイケル・ポーターのファイブ・フォース分析が初めて登場した論文までを紹介した。

 今回は、「ポジショニング・スクール」とも呼ばれる、ポーターの競争戦略の原点を追う。ポーターのファイブ・フォース分析は、産業構造の理解から企業戦略を検討する考え方である。経営戦略を学ぶ際に必ずと言ってよいほど紹介されるが、それがどのような文脈で生まれ、学術研究とどう関係しているかは十分に理解されていない。

 そこで本稿では、この考え方が生まれた時代背景をまず読み解き、その源流である不完全競争の考え方に触れる。さらに、ファイブ・フォース分析の直接の前身であるSCPモデルを読み解くことから、ポーターの学術的な貢献を理解したい。加えて、現代企業が外部環境を検討する際の留意点までを紹介する。

1970年代に迎えた
経営戦略論の進化と停滞

 産業構造の分析を基に経営戦略を考えることが一般的となったのは、いつ頃からだろうか。その黎明期は、1970年代後半にまで遡る。

 前回議論した通り、1970年代初頭、オイルショックの余波を受けたことで、米国のみならず世界経済が停滞期を迎えることになる。それは特に、多角化が進展した米国企業の事業再編のうねりをつくり出した。そして1970年代を通じて、BCGマトリックスが前提とするような、ポートフォリオ管理を中心とした経営戦略の流れが実業界へと浸透する。

 その流れを受けた学術界は、リチャード・ルメルトの研究[注1]に代表されるように、いかなる多角化が収益性を高めるのかを科学的に検証する段階を迎えた。しかし、市場そのものの成長が停滞を始めると、複数事業のポートフォリオを検討する戦略的意思決定よりも、その産業内でどのような競争戦略を取るべきかに関する知見が必要とされるようになる。

 同時期にはまた、「プロセス型戦略論」とも呼ばれる、実践の意思決定を通して次第に形成される戦略のあり方の探究も進んだ。たとえば、第2回で紹介したヘンリー・ミンツバーグは創発戦略を提唱しており、1970年代前半からその形成プロセスの探究を続けていた[注2]。

 ただしそれも、戦略計画を立案して実行するために確立された「分析型戦略論」を代替するものにはならなかった。その理由は、経営者がどのように行動すればよいかの具体的な答えを提示できなかったからであろう。明確な分析のプロセスをテンプレートとして提示した「分析型戦略論」に対して、プロセス型戦略論は、個別具体的な事例紹介にとどまることが中心であった。創発的に形づくられる戦略は、その特性も形成過程もそれぞれが個性的であるため、参考にはなるにせよ、答えを提示するものではなかったのだ。

 議論の余地はあるが、1970年代の経営戦略の主な発展は、計画立案のプロセスを体系化して細緻化することであり、アンゾフの立論を深耕するのが議論の中心であった。アンゾフ以降、その主張を裏付けるべく実証研究が進み、また実務家が参考にできるより細緻な工程表、それぞれの分析や立案手法の具体的な解説が着実に蓄積されていった[注3]。ただし、それらはあくまで1つの流れの延長線上にある理論であり、すでに議論の大枠は固まっていたといえる。

 ここに旋風を巻き起こしたのが、当時30代を迎えたばかりの気鋭の経営学者、ハーバード・ビジネス・スクールのマイケル・ポーター教授である。

 時代を席巻したポートフォリオ経営と分析的な経営戦略の立案は、1970年代の後半にはその限界を露呈しつつあった。なぜなら、当時の経営者が求めていたのは、魅力的な事業領域を選択することよりむしろ、選択した事業領域でいかに競争に打ち勝つかに変化し始めていたからである。

 経済全体が成長していた時代には、より成長可能性が高い産業を選択することが重要であった。市場成長を素早く見出し、適切な投資によって経験曲線効果を得ることで、競争に勝利できたからである。これは、競争に負ける可能性が高い事業から撤退し、成長が期待できる新領域に投資する便益のほうが大きかったからともいえる。

 それが1970年代後半以降、経済全体の成長が停滞する状況下では、単にポートフォリオを組み替えるだけでは経営が立ち行かなくなる。1つひとつの産業をより細緻に分析して理解することが必要となり、その産業構造の理解に基づき、自社の打ち手を検討する必要性が生まれてきた。

 こうした時代の要請があり、ファイブ・フォース分析は一躍注目を浴びた。

[注1]たとえば、Rumelt, Richard P. 1974. Strategy, Structure, and Economic Performance. Boston; Cambridge, Mass.: Harvard University Press.
[注2]ミンツバーグが発表した創発戦略に関係する最も古い発表資料は、1972年のアカデミー・オブ・マネジメントの年次総会で発表された「Research on Strategy-making(戦略創造の研究)」だと述べている(Mintzberg, H. & Waters, J. A. 1985. Of Strategies, Deliberate and Emergent. Strategic Management Journal, 6(3): 257-72.)。ただし、それが著名査読誌に掲載されるのは、Mintzberg, H. 1978. Patterns in Strategy Formation. Management Science, 24(9): 934-48. を待たねばならなかった。
[注3] たとえば、チャールズ・ホッファーとダン・シェンデルの1978年の著作はその代表である。Hofer, C. W. & Schendel, D. 1978. Strategy Formulation: Analytical Concepts. St. Paul: West Pub. Co.(邦訳は『戦略策定』〔奥村昭博・榊原清則・野中郁次郎共訳、千倉書房、1981年〕)