「行動」なき事業戦略は
青写真にすぎない

 経営戦略の教科書や戦略フレームワークが「行動」に重点を置いていないのに対して、私がそれを中核の1つに添えるのには、2つの理由がある。

 1つは、私自身が、行動のプロセスの中で創発的に発生する経営戦略を研究対象としているからである。もう1つは、自分で青写真を書いた経営戦略が、その展開につながる過程で飛躍的に研ぎ澄まされていったことも、反対に、著しく矮小化されてしまったことも、実際に幾度となく経験したからである。

 図2は、その実施が判断された経営戦略が行動に移されるまでの過程を単純化したものである。

図2:経営戦略の決定から実行、成果に至るまでの道のり

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出典:筆者作成

 たとえば、取締役会である事業戦略(新規事業)が機関決定されたとしよう。それが現場に降りてきて、具体化され、計画に起こされ、予算化され、試行され、そして本格展開に至るまでには、いくつもの関門が待ち受けている。

 まず想像できるのが、勢い勇んで企画メンバーが現場に足を運ぶと、いきなり熱量の格差に出鼻を挫かれる展開だ。古参で影響力を持つ従業員が、「そんなのは昔やって大失敗したアイディアじゃないか。自分は協力しない」と会議の場を凍りつかせ、そもそもの提案自体が全否定され、経営陣に差し戻されるような事態があるかもしれない。

 また、たとえそのアイディア自体が受け入れられたとしても、具体的な実施体制が絵空事に終わり、現場感や実際の展開の規模感がぶれ過ぎていることも多々ある。最も恐ろしいのは、法規制や商慣行、知的財産権など回避困難な問題によって実現が不可能というシナリオだ。早い段階で部署横断的な体制を構築するか、少なくとも各種の重要課題を拾い上げることができる体制を構築していないと、ここでも事業戦略は頓挫しうる。

 それらの課題をクリアし、経営会議で意思決定されたとしても、各部門長が腹落ちして、全面的に支持する体制が取れていないと、ここでも悲劇が起こる。責任者が決まり、達成すべき目標も定められているのに、それに必要な経営資源が各部門から提供されないという事態が発生し、継ぎ接ぎだらけの体制となる。これは「総論賛成、各論反対」の状況だ。

「方向性は賛成だが、うちのエースを投入するのは反対だ」

「いい計画だが、最新の生産設備を活用するのは許可できない」

「支援したいが、旗艦店でパイロットをすることはありえない」

 事業戦略を判断する時点で意思決定者を巻き込み、実行にあたって必須の経営資源を持つ担当者を引きこみ、詳細を合意していないと、事業戦略の前提条件となるような自社の経営資源を十分に活用できない事態となる。そうして、「それならば、やらないほうがマシだ」という状況に追い込まれる。

 さて、どうにか経営資源を手にいれて、活動を開始したとしよう。それでも苦難の道が待ち受けている。

 たとえば、予算化されているのは新規事業の部隊のみであったり、かつ単年度であったりする。他の部署は他の部署で、達成すべき予算や、進めるべき業務内容がある。新規事業に関連する各部署の業務内容と予算に、その支援に関係する予算項目や人員計画が反映されていなければ、他の部署の新規事業に対する協力は限定的とならざるをえない。これは縦割りの弊害であり、巨大組織の力が十分に活用されない事案は無数に存在する。

 実行するうえでも、気をつけるべき点がある。短期的に成果を出せないと、単年度予算の慣行と短期的な人事異動・役員管掌変更の弊害により、次第に予算と人員が縮小され、ジリ貧となってしまう。そのため、限られた予算と人員でも成果が出せるように、地域・期間・数量などを限定して、必ず勝てる場所で成果を出すことを紡ぎ合わせていかないと、たとえ成功する可能性のあるプロジェクトでも、大きな成果につなげることは難しい。

 いかに美しい事業戦略でも、実際にかたちになり、実行されて、成果につながるまでの経緯で、常に成功にも失敗にも転びうる。実際の事業戦略の根幹は、ときには怒鳴られながらも競合の情報をかき集め、意思決定者の懐柔に励み、勝てる戦いを積み重ねることで既成事実を積み上げていくようなプロセスが担っている。

 特に現代の経済成長の大部分を担う新産業領域、すなわち、創発的な戦略の形成が観測されやすい事業領域では、見落とされがちなこの「行動」という要素が極めて重要である。だからこそ、これは私自身の理論としては未完成ではあるものの、「理解」「判断」にとどまらない、「行動」を統合した戦略策定の理論化を進めることが、事業戦略におけるフロンティアだと私は考えている(本連載の後半では、「行動」に関係する部分はより掘り下げて解説したい)。

 さて、次回は全社戦略を取り上げる。

 今回と同様、定石的なアプローチを概観したうえで、全社戦略として議論すべき4つの要素を1つずつ議論していく。そのうえで、企業のかたちが変わるであろう、未来の全社戦略についても考えたい。

【本記事の要点】

・外部環境分析と内部環境分析を土台として、競争優位の確立と維持のための手段を議論するのが、事業戦略立案の議論の骨格
・日本における議論は、競争優位の確立を議論する際に、イノベーション研究とマーケティング研究の知見が色濃く反映される傾向がある
・多様な教科書が特定の定石たる構成に収斂するのは、教科書が社会科学としての経営学の発展の経緯に即した構成を志向するため
・戦略フレームワークには得意・不得意があり、自社が置かれた事業環境、そして、自社の内部環境の特性に基づいて取捨選択する必要がある
・特に新興の産業や事業領域における事業戦略の検討にあたっては、「理解」と「判断」のみならず、「行動」の側面が無視できない
・行動の過程で一度決められた判断がどのように左右されるかは、事業戦略研究の古典的分野でありながら、1つのフロンティアでもある

※本記事の執筆にあたっては、慶應義塾大学の高城栄一朗君、坂本拓馬君、福田滉平君、鵜飼絢哉君、 菊池瑛祐君にデータ整備の支援をいただいた。ここに深謝の意を表する。

 

【著作紹介】

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