新興企業が成熟するとき

 新興企業は、いつまでも新興企業のままではいられない。

 10人程度の組織であれば、全員が経営陣の隣りに座っているような環境をつくれる。また100人程度であれば、優れた経営者であれば、おそらくほぼ全員の名前と顔が一致しているだろう。しかし、それが500人、1000人規模となれば、それはもう不可能である。経営陣、役職者以外の何らかの力によって、組織を一つにまとめ続けなければならない。これこそが、本連載の第10回で解説した、経営戦略を浸透させるものである。

 新興企業は特に、創業当初は経営資源が極めて限られた状態にあり、日々その経営の方向性も変わっていく。したがって、定量的な評価基準や細かなインセンティブ設計よりも、日進月歩で組織や戦略が変化するなかで根源的に信じるべきもの、組織の構成員全員が共有すべきバリューやミッションが要となる。

 これらは創業初期にはそれほど重要でないかもしれない。しかし、組織文化、制度、風土とも呼ばれる組織の定性的な要素は、一昼夜では醸成できないがゆえに、創業初期からつくり上げ、熟成させていかなければならない。

 また、コミュニケーションという概念も同様に重要となる。組織が小さなときには仕組み化は求められないが、急成長する組織でこれを怠ると、気づかぬうちに人心が離れていく。そして、離れ始めてからそれを始めても、ほとんどの場合はもはや手遅れである。すなわちこれも、創業初期から実行しなければならない重要な取り組みとなる。

 こうした組織の足腰を鍛える取り組みが立ち遅れれば、採用が難航したり、中心メンバーの心が離れたりするだけでなく、組織の意思決定の方向性が歪んでしまう。組織が大きくなればなるほど、経営幹部一人ひとりの意思決定に依存せざるを得ない。その個別の意思決定を統制するものは、バリューやミッションといったその組織が共有する価値観や考え方であり、日々経営陣から発信されるコミュニケーションの蓄積なのである。

 新興企業も、いつしか成熟企業となる。そこに至る過程で、当初は事業戦略と全社戦略の間に大きな重なりがあったものが、次第に全社の戦略がそれぞれの事業の戦略から独立していく。

 第8回で議論したように、組織を永続させようとするのであれば、全社戦略が欠かせない。その中核となるのは、前述したミッションやバリューの確立と、それをもとにした組織内コミュニケーションによる、組織ドメインの定義・周知・更新である。その土台の上で、それぞれの事業機能を成長に合わせて再編成しつつ、事業領域の設定と管理を継続していくこと、そして、自社の活動を監査・評価・統治することが、単一の事業を超えて組織が継続するために必要となる。

 たとえば楽天は、上場企業となって以降、創業事業である楽天市場の拡大のみならず、銀行やトラベルなど周辺領域の事業を積極的に買収することで成長を遂げた。これはPL(損益計算書)による成長からBS(貸借対照表)による成長に舵を切ることで、単一事業の成長を超えた企業価値の最大化を狙った動きであろう。

 SPEEDA事業で創業したユーザベースがNewsPicks事業に乗り出し、印刷事業で成長したラクスルが配送事業であるハコベル事業に乗り出し、フリマアプリで成長したメルカリが子会社のソウゾウでメルカリ アッテやメルカリ カウルに取り組むのも、単一事業の限界を超えて、企業としての持続的な成長を模索する全社戦略の取り組みといえよう。

 また、株式の上場を目指し、上場企業としての組織体制を整える過程で、その企業の方法論、組織文化、運営手法が次第にスタートアップ特有の特徴を持つものから、いわゆる大企業特有の特徴を持つものに変遷することも、避けることはできない[注15]

 株式上場以後も、新興企業は株式市場との対話を重ねる。組織は事業規模を拡大させ、多様な構成員によって運営されるようになる。この成長の過程で、新興企業も成熟企業へと転換していく。そして、既存事業の生産性を引き上げれば引き上げるほど、逆に新規事業に対する創造性は発揮しづらくなる[注16]

 しかし、ある時点ではふたたび、創発的な戦略検討が必要になる。どのような事業であっても、変化を続ける事業環境に対して永続的な価値を提供することはできない。実際、イノベーションが停滞し競争力を失いつつある成熟企業は、さまざまな手段を用いて、探索のステージに回帰しようとする。

 いま苦境に立つ大企業の多くも、過去には新興企業であった。その時代を思い出し、現代の新興企業の戦略構築手法を学び、小さなところからでもまず実践することが、遠回りに見えるかもしれないが、実は近道なのではないだろうか。

【本記事の要点】

・予測困難性、可鍛性、生存困難性のいずれかが高いと新興企業が生まれやすい
・新興企業の多くが戦う事業環境では、シュンペーター型の競争が起きており、戦略検討の「定石」はそうした事業環境では不十分である
・新興企業の経営戦略は、ミンツバーグの創発的戦略の概念で説明できる
・1995年に提示された仮説指向計画法の考え方が、新興企業の戦略検討の源流
・2000年代後半にかけて確立されたリーン・スタートアップは、仮説指向計画法と同様の考え方を戦略フレームワークとして広く伝播させた
・リーン・スタートアップは、事業開発を「探索」と「実行」に切り分ける
・探索では、市場との対話からプロダクト・マーケット・フィットを見出す
・実行で行われる戦略検討は、グロースハックと呼ばれている
・急速な成長の継続には、創業初期からの組織文化醸成が欠かせない
・新興企業の戦略検討では、段階的に全社戦略が事業戦略から独立する
・成長の過程で、新興企業はその特性を失い、成熟企業へと変化する
・成熟後も創造性を失わない企業が、組織の永続性に近づいていく

[注15]Kotosaka, M. & Sako, M. 2017. The Evolution of the ICT Start-up Eco-system in Japan: From Corporate Logic to Venture Logic? .In Nakano, Tsutomu, (Ed.), Japanese Management in Evolution New Directions, Breaks, and Emerging Practices. Routledge.
[注16]琴坂将広. 2014. “企業は創造性と生産性を両立できるか”, DIAMOND ハーバード・ビジネス・レビュー, November 2014. pp. 38-51.

 

【著作紹介】

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