海外市場でのしかかる2つの“負債”

 国際化を推進する過程において、企業は各国の市場でそれぞれの競合に打ち勝ち、現地の事業を推進しなければならない。しかし、母国市場で培った競争優位は、不慣れな現地の市場ではまったく役に立たないことがある。それどころか、国外から参入する外国企業は、現地企業にはない“負債”を背負いながら事業を進めることを強いられる。

 この負債は、「異質性による負債(Liability of foreignness)」と呼ばれる。これは、多国籍企業研究の先駆けとなったステファン・ハイマーの1960年の博士論文[注16]でもすでに言及されており、企業やその他の組織が母国以外の事業環境で活動する際に存在する困難として、長らく多面的に研究されてきた。

 この負債の特性は、スリラタ・ザヒルの1995年の論文[注17]により、以下の4つの要素としてまとめられている。

 1.地理的な距離に直接関係するコスト(例:旅費、輸送費、通信費)
 2.現地の環境に不案内であるためのコスト(例:市場調査費、運営の非効率)
 3.現地の環境特性により生じるコスト(例:外国企業への警戒、市場の閉鎖性)
 4.母国の環境特性により生じるコスト(例:軍需品等の輸出規制、貿易摩擦)

 こうしたコストはすべて、グローバル化によって少しずつ低減されてきた。特に旅費や輸送費、通信費は大幅に削減されている。国際経営が多くの領域で浸透し、各国市場の特性や運営を取り扱える専門的な経営人材の層が厚くなりつつある。また、市場の閉鎖性や貿易摩擦などの国家間の対立に関しても、1990年代と比較すれば、現在の揺り戻しの兆候を加味しても劇的に状況が改善している。

 だが、たとえこの4つのコストが最小化されたとしても「外部者性による負債(Liability of outsidership)」が残るため、外国企業は進出先の現地市場において事業上の困難に直面する、という論文[注18]が2009年に発表されている。

 この論文では、多国籍企業が直面する負債が、地域特性に関連する上記4つのコストよりも、他者との関係の特殊性(Relationship-specificity)や、社会的つながりのネットワークの特殊性(Network-specificity)に関連するコストに変質しつつあるという。すなわち、現地を知らないことや現地との距離が遠いこと以上に、現地の人物や企業とのつながりが薄いことや、現地の社会的なつながりにおいて信頼を得ていないことが、そこでの事業構築とその推進において、より重い負債となるという主張である。

 たしかに日本の大企業の経営者も、たとえば経団連や経済同友会などのつながりを通じて、日本国内では相互に強い結びつきを保っている。しかし、ひとたび海外に進出すると、 現地の経営者のコミュニティにはなかなか入り込めていない。またスタートアップの経営者や投資家も、日本国内では相互に密に連携しているが、国外の起業家や投資家と一定以上のつながりを持つことには、なかなか成功していない。

 現代の日本企業とその経営者が、新たに海外進出する際に直面する困難は、異質性による負債よりむしろ、外部者性による負債の方が大きいと思われる。これは特に優秀な人材の採用や、現地の企業との連携において大きな障壁となっている。

 こうした負債を上回るだけの便益を得られなければ、海外市場には参入できない。海外進出においては、そもそも現地企業に対して競争劣位に晒されているという前提に立ち、それを上回る理由を提示する必要がある。

企業はなぜ国外市場に進出するのか

 では、こうした負債を抱えているにもかかわらず、なぜ企業は海外市場に参入するのか。

 この問いは長らく、複数の視点から議論されてきた。これを取りまとめた代表的な考え方[注19]が、ジョン・ダニングが提唱した「OLI理論(または折衷理論)」である[注20]

 OLI理論は、1976年のノーベル・シンポジウムで初めて発表され、ダニングの1979年の論文[注21]で、その骨格が提示されている。以後、対外直接投資と多国籍企業の研究において、長らく代表的な理論的枠組みとして参照されてきた。

 この理論は、海外進出の検討に影響を与える要因を以下の3つに整理する(図6参照)。

図6:OLI理論の3つの要素

写真を拡大出典:Dunning, J. H. 1981. International Production and the Multinational Enterprise. George Allen and Unwin.を参考に筆者作成

「所有の優位」は、その企業自身が有する、海外市場でも十分に機能する競争優位を指す。わかりやすいのは、特許や著作権などのように、特別の権利を付与された技術や情報である。これらは法的に保護されており、参入企業は現地での独占を認められる。そうした特別の権利がなくとも、現地の企業にはつくれない、真似できない商材やサービスであれば、異質性や外部者性による負債を乗り越え、企業は利潤を確保できる。

「立地の優位」は、異質性による負債を支払っても余りある参入の見返りを、その国や地域が提供できる場合を説明する。わかりやすいのは、アフリカ諸国で産出される希少鉱石であろう。極めて危険な事業環境であり、リスクも高く、参入のコストは高い。しかし、そこから得られる資源が魅力的であるがゆえに、その危険性やリスクも許容される。また、米国や中国などの巨大市場も、参入のコストに対して成長可能性を大きく見積れるため、参入する理由を見出せる可能性がある。

「内部化の優位」は、現地の企業に生産や販売を委託するのではなく、自社で行うことの優位性について説明する。所有の優位や立地の優位が存在していたとしても、わざわざ自社で現地に参入せずとも、現地企業に輸出や輸入で任せておけばよいケースもある。ただし、遠隔地にある現地企業を契約関係だけで管理監督するのは困難を伴う。したがって、自社で進出し、現地のオペレーションを強くコントロールすることには一定の意味がある。

 海外市場に参入する際には、そもそも自社が海外市場で直面する異質性による負債や、外部者性による負債を克服できるだけの理由を持っているかを入念に検証する必要がある。そして多くの場合、それだけの理由を見出すことは難しい。

 海外進出の魅力は売上げの拡大やコストの削減だけではない。より多面的に海外市場に進出することの付加価値を検討すれば、その意義を再発見できる可能性が高まる。

 それを検討するうえでは、パンカジュ・ゲマワットが2007年の著作[注22]で解説した「ADDING価値スコアカード」が有用だろう[注23]

 ADDING価値スコアカードは、海外市場進出で得られる可能性のある付加価値を一覧にしている。この考え方は、2001年の論文[注24]で発表され、現地市場の特性を母国との比較から理解する「CAGEフレームワーク」、そして前述したAAAフレームワークとともに、実務家から高い評価を得ている。OLI理論が、国際経営の研究者から実証研究のための理論的枠組みとして参照される一方、ゲマワットが考案したこれらのフレームワークは、理解しやすい思考の道筋として、経営の実践で幅広く参照されてきた[注25]

 ADDING価値スコアカードは、ADDINGの6文字で表される6つの要素を、海外市場進出で得られる可能性のある付加価値として解説する(図7参照)。

図7:ADDING価値スコアカード

写真を拡大出典:Ghemawat, P. 2007. CHAPTER 3: Global Value Creation The ADDING Value Scorecard. Redefining Global Strategy. Harvard Business School Press.より筆者作成

 ADDINGには、「販売増(Adding volume)」「コスト削減(Decreasing cost)」「差別化(Differentiating)」「産業魅力度の向上(Improving industry attractiveness)」「リスク平準化(Normalizing risk)」、そして「知識の創造(Generating knowledge)」の便益が含まれる。

 海外進出を検討する際に出発点として議論されるのは、販売であれば売上げの拡大であり、製造であればコスト削減である。

 しかし、海外進出によって得られる便益はそれだけではない。たとえば、高級ブランドがパリやニューヨーク、そしてロンドンに支店を持つことは、その店舗が赤字であったとしても、ブランドの差別化、母国市場における顧客の支払い意欲の向上につながることがある。

 また、ある国への進出それ自体は黒字とならずとも、それが自社の市場シェア向上につながり、取引交渉力の改善につながることがある。キャタピラーが過去、赤字覚悟で日本市場に参入したように、その参入自体は利益につながらなくとも、それが競合への牽制となり、母国市場の競争環境を改善させることがある。

 一方、ドールやデルモンテなどの国際的な企業は、世界各地に農園を持ち、異なる気候で作物を栽培することで、天候不良や栽培条件の悪化に伴う収穫量低下のリスクを平準化している。フランスのワイン生産者たちが、地球温暖化に備えてチリなどの新世界での栽培を始めているのは、こうした理由からでもある。

 さらに、その産業の最先端の地域、たとえばインターネット産業におけるシリコンバレーや、金融におけるニューヨーク、ファッションにおけるミラノなどに進出することは、売上げやコスト削減に直接的に結びつかなくとも、自社の競争優位の源泉となりうる知識、資源、あるいは能力の獲得に資することは想像に難くない。

 海外市場への参入検討では、第7回で取り扱った事業戦略立案の考え方の土台の上に、異質性の負債や外部者性の負債を加味した事業計画が求められる。また、国境を越える特殊な意思決定は、その意思決定に付随した所有、立地、または内部化の優位性が存在するかを慎重に検討すべきである。

 ただし、ADDING価値スコアカードが示すように、海外市場であるがゆえの、進出価値が存在することも忘れてはならない。市場の多様性が生み出す付加価値の可能性は、単純な売上増や費用減だけではないのである。

「制度」を理解し、非市場戦略を検討する

 さらに、新興国への進出を検討する際には、新興国独自の要因も併せて勘案する必要がある。

 海外事業運営のコストが継続的に低下し、なにより新興国における人口増加と経済成長が継続したことによって、1990年代後半から新興国の重要性が急速に増大している。ただ、新興国市場への進出は容易ではない。新興国においては、異質性による負債も、外部者性による負債も、先進国を母体とする企業にとっては、先進国市場に比較してはるかに高いためである。

 まず、狭義の社会資本、道路、鉄道、港湾、電気ガス水道などの整備が未発展であり、事業展開をするうえでの前提条件となる、社会インフラが先進国に比較して不十分である。それ以上に、タルン・カナとクリシュナ G. パレブが2010年の著作[注26]で説明したように、市場経済の各種機能を支える「制度(institutions)」が未発達であるか、少なくとも先進国のそれと大きく異なることの負担が大きい。

 両氏は、市場経済の各種機能を支える制度を以下の6つに整理している。

 1.信用の裏付けを行う制度(例:各種認定機関、監査法人)
 2.情報分析とアドバイスを行う制度(例:経済誌、信用情報機関、調査会社)
 3.集約と流通を担う制度(例:大規模小売店、投資信託、農協、中間流通業者)
 4.取引支援の制度(例:証券取引所、卸売市場、クレジットカード会社)
 5.仲裁・審判を行う制度(例:裁判所、調停機関、業界団体)
 6.規制する制度(例:規制当局、公的機関、各種委員会)

 発達した市場経済においては、これらは相互に密接に連携しており、市場経済の足腰として重要な役割を果たしている。しかし、未発達の市場経済においては十分に機能しておらず、ときに事業運営上の致命的な障壁になることすらある。

 タルン・カナとクリシュナ G. パレブはこれを「制度の隙間(Institutional Voids)」と名付け、こうした制度の不在や未整備をいかに克服するかが、新興国における戦略検討のカギであると主張した[注27]。この考え方は、市場における競合他社との製品やサービスの価格や質を軸に競争すること、すなわち市場戦略を立案することだけではなく、市場外において政府や規制当局、各種メディア、その他の利害関係者との密接な連携と調整を図ることが、ときに経営戦略として有効であると説明する。

 このように、市場競争ではなく、市場を整備するための非市場競争に着目し、それを戦略検討のプロセスに織り込むべきだとする考え方の原点は、ディビッド・バロンが1995年に発表した論文[注28]に、その原型を確認できる。

 この論文は、市場環境を整備するための非市場戦略、たとえば関税を下げる、規制を撤廃させる、補助金を受けるなどの政府や規制当局との交渉のプロセスと、製品・サービスの価格や質で戦うための市場戦略の立案のプロセスを統合させ、「統合戦略(Integrated Strategy)」として運用すべきだと主張する(図8参照)。

図8:統合戦略は市場戦略と非市場戦略の密接な連携を図る

写真を拡大出典:Baron, D. P. 1995. “Integrated Strategy,” California Management Review, 37, 47-65., p. 49.より筆者作成

 この考え方は特に、市場環境の整備が不十分、または欧米の企業にとって使いにくい状況にある新興国では重要となる。そもそもの競争環境が整備されていなければ、市場における競争では勝敗がつかない。非市場の要因が勝敗を決め、製品やサービスの絶対的な有意差が競争優位に結びつかない状況が生まれる可能性がある。

 たとえば、アフリカの携帯電話事業者であったセルテル(現在はバーティ・エアテルの傘下)は、みずから事業に必要なインフラを整備することで、携帯電話通信網をゼロからつくり上げた[注29]。道路が未整備のため、基地局の機材をヘリコプターで輸送し、電力網が存在しないため基地局に発電機を設置し、燃料と冷却水を毎日補充した。また、政府機関と交渉を重ねることで国境を越えた通信網を整備し、国際通話の価格を大幅に引き下げて競合を引き離した。さらに、学校や病院をみずから建設して地域に貢献することで、市場拡大に貢献した。

 このように非市場要因が競争力を左右し、ときに勝敗を決めることは、新興国市場では珍しくない。国家の制度や法規制も、権力者の合意を取り付けるだけで大幅に刷新されうる。競争の前提条件を前提条件とは捉えずに、積極的に変革させようとすることが、新興国市場での経営戦略においては極めて重要となる。

 また、非市場戦略の重要性は、近年の国際的なスタートアップ、たとえばタクシーの配車サービスのウーバーや、空き家や空き部屋を短期間旅行者に貸し出すエアビーアンドビーをめぐる議論でも大きな注目を浴びている[注30]。両社ともに、世界各地でその地域の法規制や業界団体と戦い、旅館業法や道路運送法などの規制緩和を主張している。多くの国と地域において、法規制のグレーゾーンで事業を展開しながら事実を積み重ね、ロビー活動を積極的に展開し、規制当局と交渉を重ね、関係者への根回しを行い、さらに世論を醸成するための取り組みを進めてきた。

 これは、いま存在する制度を前提にする必要はない、という端的な理解に基づいている。技術進歩や社会の変化により、過去には必要であった確立された制度も、ときに刷新が求められる。その刷新は、市場競争における前提条件を根底から覆すため、それを主導できれば大きな競争優位を得ることができる。

 特に国際的な事業環境においては、制度は単一で絶対的なものではなく、無数に存在する相対的なものであり、企業はその経営戦略を通じて、一定以上に誘導が可能な要素と見なすべきだろう。これらを操作できる変数と捉え、積極的に自社の戦略検討の俎上に上げることが、市場競争のみに注力する競合に対して優位に立つための、極めて有効な手段となる。

[注16]同論文は1976年に書籍として出版された。Hymer, Stephen H. 1976. The International Operations of National Firms. MIT Press.(邦訳は『多国籍企業論』宮崎義一編訳、岩波書店、1979年)
[注17]Zaheer, Srilata A. 1995. “Overcoming the Liability of Foreignness,” Academy of Management Journal, 38(2): 341-363.
[注18]Johanson, Jan., and Vahlne, Jan-Erik. 2009. “The Uppsala Internationalization Process Model Revisited,” Journal of International Business Studies, 40(9):1411-1431.
[注19]同時期に成立した「内部化理論」はOLI理論と同様に代表的な考え方といえる。その概要は以下を参照されたい。Rugman, Alan M. 1981. Inside the Multinationals. Columbia University Press.(邦訳は『多国籍企業と内部化理論』江夏健一訳、ミネルヴァ書房、1983年)
[注20]OLI理論の発展の経緯と現代的な解釈に関しては、以下を参照されたい。Dunning, John H. 1995. “Reappraising the Eclectic Paradigm in an Age of Alliance Capitalism,” Journal of International Business Studies, 26(3): 461-491.
[注21]Dunning, J. H. 1979. “Explaining Changing Patterns of International Production,” Oxford Bulletin of Economics and Statistics, 41, 269-295.
[注22]Ghemawat, P. 2007. Redefining Global Strategy. Harvard Business School Press.(邦訳は『コークの味は国ごとに違うべきか』望月衛訳、文藝春秋、2009年)
[注23]海外進出の誘因に関しては、ADDING価値スコアカード以外にも以下の論文が参考になる。Dunning, J. H. 1998. “Location and the Multinational Enterprise,” Journal of International Business Studies, 29(1): 45-66.
[注24]Ghemawat, P. 2001. “Distance Still Matters,” Harvard Business Review, 79, 137-147.
[注25]たとえば、著名な国際経営の研究者であったアラン・ラグマンは、2009年の著書『Rugman Reviews International Business(ラグマン教授の国際ビジネス必読文献50撰)』の中で、ゲマワットの著作は実務家に高い価値を持つ一方、過去の学術的発展を十分に参照していないため、学問的な価値は限定されると評価している。
[注26]Khanna, Tarun., Palepu, Krishna G. with Bullock, Richard J. 2010. Winning in Emerging Markets. Harvard Business School Press.(邦訳は『新興国マーケット進出戦略』上原裕美子訳、日本経済新聞出版社、2012年)
[注27]Khanna, T., Palepu, K. G. and Sinha, J. 2005. “Strategies That Fit Emerging Markets,” Harvard Business Review, 83, 63-76.
[注28]Baron, D. P. 1995. “Integrated Strategy,” California Management Review, 37, 47-65.
[注29]詳細は以下を参照されたい。Ibrahim, M. 2012. “Celtel's Founder on Building a Business On the World's Poorest Continent,” Harvard Business Review, 90, 41-44.
[注30]以下を参照されたい。琴坂将広、Airbnb、Uberと新興国の意外な共通点:「ちょい悪」が武器になる、「非市場戦略」の過去と未来、日経ビジネスオンライン、http://business.nikkeibp.co.jp/atcl/report/15/268513/120200003/