国際経営戦略の立案は
市場の多様性との対話である
経営戦略と国際経営戦略は、どう違うのか。
それを考えるうえでは、ゲマワットによる2003年の論文の整理がわかりやすい。究極的には、「国際」と付く事業戦略と全社戦略は、世界市場の異質性という複雑性を加味した事業戦略と全社戦略であり、一次元より複雑な検討が求められる(図2参照)。
図2:経営戦略と国際経営戦略の端的な比較

出典:Ghemawat, P. 2003. “Semiglobalization and International Business Strategy,” Journal of International Business Studies, 34(2), pp. 138-152.より筆者作成
本連載ではすでに、第7回で事業戦略、第8回で全社戦略の立案について触れた。端的に言えば、国際事業戦略と国際経営戦略は、これらで触れた要素に加えて、セミ・グローバリゼーションの最中にある、複数の国や地域で事業を運営することの可能性や困難性が加味される。
その可能性とは、全世界のさらなる統合により、世界で自社の優位性を築き上げ、事業拡大を成し遂げる契機が広がったことである。多様な地域への進出を通して売上げを拡大させ、さらに事業リスクを分散させるだけでなく、多様な地域を統合的に運用することで規模の経済を実現し、自社の競争力を高めることができる。
また、その困難性とは、世界に散在する大きな多様性に自社の事業を最適化させることである。母国とは異なる事業環境で競争に打ち勝つためには、国境を越えて事業を行う追加的なコスト、たとえば現地の環境に精通していないこと、現地の利害関係者とのつながりが薄いことを補完しうる、現地企業以上の競争力を保持しなければならない。
最大のジレンマは、複数の国や地域を統合させることによる競争力の獲得と、それぞれの現地環境に自社の事業を適合させることによる競争力の獲得が、トレードオフの関係にあることである(図3参照)。
図3:統合と適合のトレードオフ

出典:琴坂将広『領域を超える経営学』(ダイヤモンド社、2014年、p. 182)より
たとえば、全世界の組織運営を単一の仕組みで行えば、複雑性が低下して運営コストが下がる一方で、現地の特殊事情に対応することは難しい。逆に、それぞれの地域で独自の製品を開発・販売していては、原材料調達、生産、販売、販促の地域をまたいだ標準化は進まず、世界進出による規模の経済を享受できない。
世界に多様な市場があるがゆえに、単純に規模を拡大するだけでは現地競争に勝てない。しかし、それぞれの現地で個別に競争していては、国境を越えて展開するための事業コストだけが重なり、売上げが上がるとしても利益を圧迫するだけとなる。
この問題は、国際経営戦略の理論構築の黎明期に、C. K. プラハラードが1975年のハーバード大学の博士論文である“The Strategic Process in a Multinational Corporation”(多国籍企業の戦略立案)で解説した問題であり、同僚であったイブ・ドーズの1976年の博士論文“National Politics and Multinational Management”(国家政策と多国籍経営)でも言及されている、国際経営の根源的な問いである[注10]。
この考え方は、「統合-適合フレームワーク(Integration Responsiveness Framework)」と呼ばれ、その頭文字をとって「I-Rフレームワーク」とも呼ばれる。これは、1986年に執筆された両氏の共著『The Multinational Mission(多国籍企業の使命)』[注11]によって一般に広く理解されるようになった。
ここでいう「統合(Integration)」は「グローバル統合(Global Integration)」とも表現され、多国籍に展開する競合や顧客の存在、製品市場におけるグローバル化の度合い、コスト削減への圧力など、国際経営における統合への圧力を総称している。また「適合(Responsiveness)」は「ローカル適合(Local Responsiveness)」とも呼ばれ、それぞれの市場における顧客趣向、販売チャネル、産業構造、現地政府や法規制の特性がもたらす、国際経営において現地市場へ適合することへの圧力を総称する。
国際的経営戦略は、この2つの力に対して、どのような答えを導き出すかに左右される。1970年代後半以降、このI-Rフレームワークの考え方を土台として、また加速度的に進行した企業の海外進出と多国籍化にも支援されながら、統合と適合のトレードオフにどう取り組めばいいかについて、多種多様な議論が展開されてきた。ただし、依然として統一的な見解には至ってはいない。
国際的な事業環境の4つの類型
国際経営戦略に関する研究の潮流は、ポール・ローレンスとジェイ W. ローシュが 土台をつくり上げた「コンティンジェンシー理論(条件適応理論)」[注12]を源流とする。そのため、第一に注力すべきは外部環境の理解だという見方が強い。なお、外部環境を理解し、その特性に応じて戦略を検討するのは、ヘンリー・ミンツバーグが提唱した10分類[注13]を参照すれば、エンバイロメント・スクールに当てはまる。これは、経営戦略戦略を環境への反応プロセスとして捉える研究潮流である。
外部環境の分析から経営戦略を立案する系譜は、第5回で触れた。ファイブフォース分析、PESTLE分析、シナリオ分析といった分析手法は、国際経営戦略の立案でも活用される。ただ、国際経営戦略の立案においては特に、自社が複数の国や地域に進出していることの意味合いを深く考慮すべきである。
たとえば、I-Rフレームワークを用いて自社が関わる国際的な経営環境の特性を理解する手法は、欧米の多くの国際経営の教科書で定石として教えられている。こうした作業は、図4のような分類から自社の置かれた経営環境を理解する(図4は、モナ・マキージャらが1997年の論文[注14]で解説した産業のグローバル化の4分類を、I-Rフレームワークに当てはめたものである)。
図4:国際的な経営環境の4つの類型

自社の置かれた環境が「マルチドメスティック移行産業群」であれば、依然としてグローバル統合の圧力も、ローカル適合への圧力も弱い状況である。世界的に展開する企業が限られ、地域間の顧客趣向や産業構造の違いが事業展開の障壁となっていない。典型的には、自動車修理業などの各種リペアサービスや、土木・住宅建設などの領域は、比較的、国際化の進展が遅く、この分類に当てはまる。
また「マルチドメスティック産業群」であれば、多国籍に展開する巨大企業が世界的に目立つが、そうした企業が世界で統合的な事業展開をせず、各国の顧客ニーズに適合させた製品やサービスを各地で提供している。ここには、現地の言語や文化が影響するコンテンツ事業、飲料や食料品、また通信など規制産業がこの分類に当てはまる。
グローバル統合への圧力が強く、しかしローカル適合への圧力が弱い経営環境は、 「グローバル産業群」に分類される。こうした事業環境では、競争が世界的に行われ、世界的な市場の寡占化が進行している。そのため、規模の経済を活用しなければ生き残れない事業環境である。たとえば、旅客機、造船、工作機械、腕時計、化学、鉄鋼、資源、金融などの領域はここに分類される。
現在、多くの産業が移行しつつあるのが「統合グローバル産業群」である。これはグローバル統合への圧力も、ローカル適合への圧力も強い競争環境であり、世界各地で統合を推し進めながら、各国市場にも適合できる強力な多国籍企業が事業を展開する産業群である。たとえば、自家用車や日用消費財がここに該当する。
ある1つの国や地域のみで経営戦略を検討する際には、国際的な事業環境の特性を議論する必要性は高くない。しかし、世界の市場の多様性を戦略検討に織り込もうとする場合、こうした検討が必須である。
国際経営戦略の4つの方向性
自社が直面している国際的な事業環境の特性を理解できたら、自社の国際経営戦略の基本的な方向性も議論できる。図5は、図4で示した国際的な経営環境の4つの類型それぞれに対応する、4つの基本的な国際経営戦略の方向性を示している。
図5:産業特性に応じた国際経営戦略の4つの方向性

自社が置かれているのがマルチドメスティック移行産業群であれば、母国市場を中核として、その事業モデルを海外に移行するシンプルな方向性を意味する「母国複製戦略」が基本となる。
自社がマルチドメスティック産業群にある場合、各国に大幅な権限移譲を行い、本社は全体の資源管理に注力する「マルチドメスティック戦略」が望ましい。
それがグローバル産業群であれば、本社に権限を集約させ、シンプルな組織構造を採用し、全世界で統一的な戦略を推進する「グローバル戦略」が有効となるだろう。
自社が統合グローバル産業群に置かれているときは、グローバル統合とローカル適合の最適なバランスを探し求めなければならない。こうした産業群では、「トランスナショナル戦略」と呼ばれるように、国の境界を超えた組織運営が求められる。これは「グローカル戦略」とも呼ばれ、グローバルでありながら、ローカルの要素を持つ複雑な組織と戦略の実践が求められる。
なお、やや視点を変えた考え方もある。たとえば、パンカジュ・ゲマワットが2007年の論文[注15]で解説した「AAAトライアングル」は、「適応戦略(Adaptation)」「集約戦略(Aggregation)」「アービトラージ(裁定)戦略(Arbitrage)」の3つの方向性の最適なバランスを検討し、その組み合わせにより市場の多様性から最大限の利益を得るべきという。
適応戦略とは、各国の特殊性にできる限り適応して、各国の顧客に対する商品の魅力度を最大化させようとする方向性である。これはI-Rフレームワークの適合(Responsiveness)の方向性と重なる。また集約戦略とは、I-Rフレームワークの統合(Integration)と同様に、国際的な運営をできるだけ1つに集約することでそのコストを最小化し、競争優位を生み出そうという方向性である。そしてアービトラージ(裁定)戦略とは、それぞれの国の間に存在する差異から競争優位を生み出そうとする方向性である。もっともわかりやすいのは、人件費や光熱費などの生産費用の差異であり、新興国で生産し、先進国で販売するような形態が当てはまる。
前述のマルチドメスティック産業群であれば適応戦略が中核となり、グローバル産業群であれば集約戦略が中核となるだろう。また、参入している国や地域の生産費用や販売価格などの大きな差異が存在するのであれば、その差異から便益を得ようとするアービトラージ戦略も視野に入る。AAAトライアングルは、この3つの要素を組み合わせることにより、最適な国際経営戦略のあり方を導出する。
もちろん、ここで紹介した2つの考え方はいわば定石であり、将棋と同じく、この定石のみで勝負に勝てるわけではない。これらはあくまで、複数の国や地域に参入する複雑性と可能性を加味するための筋道である。自社が事業を行う各国の市場特性を理解し、その国と地域の組み合わせから得られる便益を最大化するためには、さらに深い検討が必要となる。