教訓その1:主導する専門家を慎重に選べ

 すべての政策は何らかの影響をもたらす。その影響に至る道筋を事前に明らかにするのは、けっして容易ではない。影響が複雑な経済全体に及ぶ場合には、特にそうである。

 このことを踏まえると、どの経済政策を進めるうえでも必須となるプロセス要素がある。それらは、正当な理論、その根底にある仮定が有効であるという論拠および証拠、全体的な影響や予期せぬ結果も考慮した費用対効果分析、他の同様の取り組みからの学習などだ。このようなプロセスは、実行が容易ではない。経済学、ビジネス、テクノロジーの専門家が、政策実行の専門家と共同で主導すべきものである。

 巨大かつ複雑な経済圏で広く流通していた紙幣を廃止する――インドのように、こうした思い切った措置を検討する際には、上記のような専門家がプロセスに関与すべきであった。

 助言者として最適と思われる人物、インド中央銀行の前総裁で幅広く尊敬を集めているラグラム・ラジャンは、こう述べている。「政府には、はたしてどんな助言によってこの決定に至ったのか、と問い質したくなる」。ラジャンは新著の中で、自身は廃貨のアイデアに反対であったことを明かしている。

 もう1人の最適な専門家である、インド政府の首席経済アドバイザーは、この件に関し沈黙を守っている。彼は「ビッグバン」的な経済改革に批判的なことで知られている。推測するに彼も、突然の廃貨という最大級の爆発には反対していたのだろう。

 上記以外の専門家が、本政策について相談を受けたのかどうかはわからない。米公共ラジオ局NPRの番組「プラネット・マネー」は、この着想を与えた可能性がある、1人の「専門家」について報じている。それはアニル・ボキルという名の、それまで知られていなかった機械技師出身の社会運動家だ。彼は、「高潔で、豊かで、平穏な暮らし」のための5箇条の計画(廃貨案を含む)と、94ページのパワーポイントによるマニフェストを、ナレンドラ・モディ首相に(就任前の2013年に)売り込んだという。

 これほど広範囲の影響をともなう政策を断行する前に、なくてはならないものがあった。それは、専門家の助言とデータと分析を受け入れる、明確なプロセス。そして、仮定とインパクトについて議論する体制である。たとえこれらが秘密裏に行われるべきであっても、プロセスの記録を取っておくことは重要である。

 政府は、政策の最終的な結果がどうであれ、「その前にやるべきことはやった」ことを実証できなくてはならない。これは、民主的に選出された政府であればすべからく、自国民および自国の将来に対して負っている義務である。

教訓その2:基礎データをないがしろにするな

 すべての政策は、公共の利益をもたらすという目標を謳う。だが、どんな政策決定にも代償がともなう。公共の利益を創出することは必ず、社会のどこかの層に負担を課すものだ。したがって、ファクトベースの費用対効果分析が不可欠である。

 どの政策も、ある単純なテストに合格できなくてはならない。すなわち、試算分析における経済面の基礎データにより、その政策は失敗の可能性が高い、あるいはマイナスの影響が大きいと示唆される場合には、前進する前に立ち止まり、もっと問いを投げかけるということだ。

 インドにおける廃貨の動きに際して謳われた第一の公共利益は、汚職と違法行為の問題への対処であった。多くの評論家が、このような根本的な問題に対して、大胆な措置で取り組もうとするインド首相の「勇気」を称えた。この決断力は、重要な中間地方選挙でも人気を博し、モディ政権の圧勝という政治的成果にもつながった。

 しかし、インドで紙幣を無効化するうえでは、最初から検討すべきであった要素がいくつかある。

 第1に、流通している現金の86%を無効化することは、明らかに危険である。経済を大混乱の一歩手前に陥れる可能性があるからだ。

 第2に、インドの労働者の90%は非公式経済で雇用されており、主な支払い形態は現金である。それをも無効化するというシナリオが、労働力と経済に打撃を与えないとは考えにくい。

 第3に、最近の所得税調査の分析では、インドにおける申告されていない財産に占める現金の割合は、わずか6%程度と推定されている。つまり、本政策は誤ったターゲットに向けられたのだ。隠された財産のほとんどは、現金でない形(事業への投資、株式、不動産、偽名で取得した資産など)で保有されているのだから。

 上記のデータはすべて容易に入手可能であり、政策立案者を立ち止まらせるべきものであった。