企業がパーパス(存在意義)を掲げることは、従業員を鼓舞する原動力となる。そのように言われる機会が増えてきたが、本当にそうなのだろうか。パーパスのような高尚な目標の存在は、鼓舞するどころか冷笑されることすらある。筆者は、企業は明白かつ究極の意義として「利潤追求」を明言すべきだという。
我々教授陣はロンドン・ビジネススクールでしばしば、パーパス(存在意義)について説明を試みる。その際、インドの地方部で環境問題に取り組む受講生や、南アフリカの黒人居住区で衛生状態の改善に努める受講生の写真を見せるなどしている。
また、我が校の教授による素晴らしい仕事にも、必ず焦点を当てている。経済学教授イライアス・パパイオアヌによる、モザンビークにおける地雷除去に関する研究や、マーケティング教授ラジェシュ・チャンディによる、発展途上国における起業家精神に関する研究などだ。
彼らの仕事は間違いなく素晴らしい。これらは、世界に非常に直接的でポジティブな影響を及ぼす問題を取り扱う、称賛に値するプロジェクトである。
しかしながら現実には、卒業生のほとんどが就職するのは、経営コンサルティング会社やハイテク企業や投資銀行であり、ヘッジファンドに行く人もいる。また、私と同僚が実施している研究の多くは、競争優位、運営効率、収益性をすでに達成している事業に関するものだ。この事実からすると、パーパスに関する我々の説明は、やや不自然に感じられる。
企業もまた、みずからの存在の大義を説明しようと必死だ。企業幹部は、ビジネス誌や経営アンケート調査、経営学の権威から、こう教えられている。従業員を鼓舞するのは、仕事における高次の目的意識である、と。このため、何らかの高尚で立派な社会的目標を謳ったミッション・ステートメントを用意する。
たとえば、「ひらめきを与え、未来のビルダーを育む」(レゴ)、「異文化で新たな友人をつくるお手伝いをする」(エアビーアンドビー)、「人々の心を豊かで活力あるものにする」(スターバックス)といった宣言だ。これらは、金を稼ぐという目標を前面に出してはいない。
しかし、このような目標は従業員を鼓舞するというよりも、冷めた笑いを誘うことも少なくないようだ。