
大学は学生に就職に直結するスキルを教えるべきだ。そんな主張を見かけることが増えてきた。激変する時代を生き残る術を与えようという提案は、一見すると正しそうにも思えるが、筆者は真っ向から異を唱える。時代の変化に対応する力を養うためには近道などなく、大学が学びの機会を提供することこそ、それを実現するうえでの最重要事項にほかならない。
米国の大学は、若者が21世紀の職場に適応できる教育をしていない――。メディアでは最近、そんな政策立案者や識者の声が盛んに報じられている。だが、その大部分はきちんとした情報に基づいていないか、見当違いだ。
なかでもよく聞かれるのが、中等教育後の短期的な資格取得プログラムによって、「いま」必要とされていることができる人材を、「いますぐ」にもっとたくさん生み出すべきだという主張だ。
たいていそこで強調されるのは、「仕事につながる」スキルであり、リベラルアーツ教育は「相対的に使い物にならない」と特徴づけられることが非常に多い。そこでは、世界の歴史や文化に関する知識や、第三者がきちんと理解できる文章を書いたり、情報の真偽や有用性を評価する力をつけたりすることは「道楽」と考えられている。
事業者が有能な人材を発見しやすいように、資格やら検定やらの証書が、その人物の能力を示すことになっている。一定の信用のある機関が、こうした証書をつなぎ合わせて、伝統的な大学の学位に相当する能力があるかのように保証する。その前提にあるのは、どのような年齢の学習者も、自力で、こうした多様な経験に一貫性を見出し、そこから深い理解を養うことができるという考え方だ。
一方、企業の経営者や管理職からも、非難の大合唱が上がっている。いわく、採用に応募してくる準学士号や学士号保持者の多くが、理路整然とした文章を書けなかったり、複雑な問題を明快に説明できなかったり、自分とは異なるタイプの人とまともに仕事ができない。中等教育後、数週間や数ヵ月で資格を取得した人材ではなく、数年間きちんと勉強した人材がこれだ。
同時に、多くのビジネスリーダーが、現在の仕事ができるだけでなく、未来の仕事(まだ存在しない未知の仕事)ができるように、仕事をしながら学習を続けられる人材を求めている。まだ、発明されていない仕事ができることを証明する検定や資格は存在するのだろうか?!
もちろん、短期間の職業訓練も極めて重要だし、多くの人には合っている。これまでもそうだったし、今後もそうだろう。だが、21世紀の職場の要求に応えると同時に、現在の米国の高等教育の欠陥を是正するためには、短期的な職業訓練を極端に奨励することが、政策的に正しい選択なのか。
答えはノー。その理由を説明しよう。