HBR(以下太字):儀式が私たちのウェルビーイングに及ぼす影響について、どのようなことが明らかになっているのですか。
ノートン(以下略):フランチェスカ・ジーノらとの共同研究で見えてきたのは、儀式がいくつもの重要な役割を果たしているということです。喪失を経験したあと、儀式を実践すれば、悲嘆が弱まる可能性があります。また、家族と儀式を行えば親近感が強まり、パートナーと一緒に行えばお互いに対するコミットメントが強化される可能性もあります。
ここで言う「儀式」とは、「入念な宗教儀式」のことではありません。私たちの研究によれば、人々が実際に行っている儀式は、その人だけのきわめて私的なものである場合が多いのです。
感謝祭のディナーや食事一般の習慣は、家族の数だけあります。カップルがお互いのことを呼ぶ秘密のニックネームや2人だけのフレーズも、カップルごとに違います。
いま、私たち誰もが悲嘆を経験したり、将来味わう悲嘆を予測していたりします。このような状況で最も注目すべきなのは、こうした自分だけの儀式を行うことを通じて、自分の人生をコントロールしているという感覚を、いくらか取り戻せる可能性があることです。
人は喪失を経験すると、人生をコントロールできなくなったという感覚を抱きます。喪失など経験したくなかったのに、そのような事態を防げなかったことが理由です。
自分の人生を自分で管理できていないと思い知らされること、その感覚はそれ自体が非常に不快なものです。その点、儀式を実践すれば、コントロールをある程度取り戻す効果が期待できます。
そのような研究は、どのように実施するのでしょうか。
まず、実験参加者に、大切な人の死や恋人との破局について考えてもらいました。いずれも、悲嘆と不安を生む原因になる経験です。
そうした経験を思い出してもらったうえで、「そのあと何をしましたか」と尋ねました。研究を行う前には、葬儀に参列したり、思い出の品物を捨てたりしたと答える人が多いだろうと予想していました。ところが予想に反して、この種の対外的な活動をしたと述べた人は10%だけ、コミュニティ関連の活動をしたと答えた人も5%にとどまりました。
もちろん、大切な人を亡くした人たちは葬儀に参列していたのですが、ほとんどの人が実践したと述べたのは、個人的な儀式でした。とても悲痛な行動を取った人もいました。ある女性は、「生前に彼がやっていたみたいに、毎週1回、彼の愛車を洗車しています」と答えました。
恋人と破局した場合の反応は、これほど悲痛ではない場合が多いけれど、それでも人々は儀式的な行動を取っていました。たとえば、こんなことを述べた人もいました。
「付き合っていたときに一緒に撮った写真をすべて見つけ出して、一つ残らず細かく切り刻みました。とても気に入っていた写真も切り刻んだ。そのあと、はじめてキスをした公園で全部燃やしました」
そうした方法は効果があったのですか。実践した人たちは、気分がよくなったのでしょうか。
はい。自分が実践した儀式を思い出しただけで、いくらか気分がよくなったと述べている人たちがいます。けれども、私たちが知りたいことは、もっとほかにありました。それは、儀式を実践すること自体が、その時点で人々の気分を改善させたのかという点です。
これを検証することは、簡単ではありません。儀式の有効性を調べるために、実験対象者に喪失の経験を人為的にさせるわけにはいかないからです。
それでも、私たちは工夫して研究室での実験を設計しました。10人組のグループを何組も研究室に招いて、その人たちにある種の喪失を経験させたのです。
具体的には、それぞれのグループのうち1人に200ドルを渡して、もう帰ってもよいと言い、それ以外の9人には、その場にとどまって退屈な調査に最後まで付き合うよう求めました。こうすることで、お金を受け取れなかった人たちに喪失感を味わわせたのです。
言うまでもなく、200ドルを受け取り損なう経験の辛さは、恋人を失う経験には遠く及びません。200ドルの喪失は、もっと深刻な喪失のマイルド版と言えるでしょう。
私たちは、喪失を経験させた人たちの一部に、ある儀式を行わせました。自分の感情を絵に描かせ、その絵に塩を振りかけ、破り捨てさせるというものです。この儀式を実践した人たちは、実践しなかった人たちに比べて、いくらか気分がよくなったと答えました。
あなたが創作した儀式だったのに、効果があったということですか。
そうです。その儀式は、私たちの調査に対して人々が教えてくれたものに基づいていますが、実験に参加した人たちは、はじめて実践するものでした。
もっとも、お察しのように、自分なりの儀式を行えば、もっとその人の状況に即し、象徴的な意味合いの大きな儀式になります。亡き夫の愛車を洗車している女性の場合がそうです。