4年間のキャンパス生活が本当に必要なのか
この問いに答えるには、現在の4年制モデルのうち、デジタルテクノロジーで代替できるのはどの部分か、補完できるのはどの部分か、補足できるのはどの部分かを理解しなくてはならない。
理屈の上では、個人指導や人間同士のやり取りをほとんど必要としない講義形式の授業は、マルチメディア・プレゼンテーションの形で収録し、学生が自分に都合のよい場所と時間に視聴するようにできる。
このようにカリキュラムの中でコモディティ化している要素は、キャンパスで教員が授業をしなくても、大規模公開オンライン講座(MOOCs)の「コーセラ」などで簡単に提供できる。数学におけるピタゴラスの定理をどう教えるかは、世界のどこでもあまり変わらないはずだ。
この種の講座は、テクノロジーを活用することにより、きわめて安価に、そして非常に大人数に向けて届けられる。しかも、対面授業の重要な恩恵、すなわち人と人の対話の要素もほとんど犠牲にならない。こうした基礎レベルの講義では、そもそも対話の要素がほぼ存在しないからだ。
このようなコモディティ化している要素にリソースを費やさずに済めば、大学は、リサーチ重視の教育や個人単位のプロジェクト、一人ひとりの学生への個人指導などに、より多くのリソースをつぎ込める。
一方、学生たちにとっても、自由に使えるリソースが増える。4年もの間、すべてキャンパスで学ぶ必要がなくなるからだ。
コモディティ化している内容の授業は、オンラインを活用し、これまでよりはるかに安い料金で、自分に都合のよい時間に受講できる。キャンパスで過ごす貴重な時間は、専門性の高い選択科目やグループワーク、教員とのやり取りや相談、キャリア指導など、リモートでは難しい活動に費やせばよい。
また、キャンパスは、社交活動や人脈づくり、フィールドワーク、留学や在外研究などを促す場として利用されるようになる。これらの活動には、対面での関わりが欠かせないからだ。
こうしたハイブリッド型の教育モデルが一般化すれば、大学教育の費用負担が減り、誰もが大学で学びやすくなるかもしれない。
しかし、ハイブリッド型への移行は本当に可能なのか。いま世界中の大学で行われている実験により、この問いの答えが明らかになるだろう。
現在、学生がキャンパス外で授業を受けているだけではない。教員たちも自宅で授業を行わなくてはならなくなっている。しばらく前まではキャンパスで対面式の授業に参加していた学生と教員が、新しい方法を試みているのだ。
つまり、学生と教員の顔ぶれは変わらず、科目も同じで、授業のやり方だけが変わった。したがって、学生も教員も、対面授業とリモート授業の相違点をはっきり比較できる状況が生まれていると言える。
学生と教員、そして大学当局は、どの講座でリモート教育がうまくいっていて、どの講座でうまくいっていないかを記録する必要がある。また、技術上の問題点、コース設計、授業の提供方法、評価方法などについて、匿名で意見交換ができるチャットルームも用意したほうがよい。
現在の実験で得られたデータは、どの講座をリモートで行い、どの講座をキャンパスで行うか、そして、どの講座をキャンパスで行いつつ、テクノロジーで補完したり、補足したりすべきかについて、のちに意思決定する際に役立つ。