だから、ケラーが「不安で落ち着かない」と言ったとき、筆者は「もう少し話を聞かせてください」と答えた。それをやってよかったと、つくづく思う。

 というのも、そこでケラーが話したのは、CEOとしての責任でも、事業上の悩みでも、投資の話でもなかったからだ。彼は賢明なリーダーであり、筆者が知る多くの賢明なリーダーと同じように、危機のときも堅実で有能だった。

 ケラーがもがいていたのは、「リーダー」としてではなく「人間」としてだった。彼は恐怖と孤独と悲しさを感じ、少しばかり途方に暮れていることを吐露した。人間の命の不確かさや、家族が直面している困難、そして会社ではなく自宅で一人きりで仕事をする変化に、心理的な負担を感じていた。

 ソーシャル・ディスタンシング(社会的距離)と在宅勤務によって、私たちは、いままでよりもはるかに「自分」と向き合う時間が増えた。

 周囲の人の表情に自分の存在が反映されなければ、自分は何者なのか。誰かに認められない自分は何者なのか。お洒落なスーツや車で、自分のイメージを演出することもできない。称賛も拒絶もない。自分を定義する評価はゼロだ。

 だから、人は途方に暮れる。あるいは、ケラーの言葉を借りれば、不安で落ち着かなくなる。ひょっとすると、あなたも少しばかりそう感じているのではないか。

 筆者はそうだ。1日のうちに、しばしば理由もなく、さまざまな感情があふれ出てくる。

 喜び、悲しみ、スリル、怒り、いら立ち、気楽さ、恐怖、興奮、そして連帯感。そのすべてを受け止めるには、勇気が必要だ。だからこそ、他者に好奇心を抱くことが重要であると同時に、自分にも好奇心を抱き続けることが重要であり、困難でもある。

 それは、物事が単純でも、明快でも、予期もできないいま、まさに必要とされている。自分に好奇心を持つことは、自分を知るための第一歩だ。少しばかり怖いかもしれないが、おそらくエキサイティングで解放的でもあるだろう。

 最も難しいのは、こうした感情をきちんと受け止めるために、スローダウンすることだ。あなたには、その勇気があるだろうか。