「目に見えない労働」と「参加税」

 本稿の共同執筆者の一人であるツェダレ M. メラクは、有色人種の女性がどのような職業人生を送るかに、人種、ジェンダー、階級、ダイバーシティ、職場の不平等がいかに大きな影響を及ぼすかを明らかにしようとしてきた。著書You Don't Look Like a Lawyer(未訳)では、人種と性別が黒人女性法律家のキャリアに及ぼす影響に光を当てた。

 この著書でメラクは「目に見えない労働」という概念を紹介している。社会的に不利な立場に追いやられている集団に属する人々は、社会的・職業的な場で日々生き抜くために、ほかの人たちより多くの「目に見えない労働」を行わざるをえないというのだ。

 また、「参加税」という考え方も提示している。白人中心の場における既存の規範の下で、有色人種は時間やカネや情緒的・認知的エネルギーなどの「リソース」をより多く費やさなくてはならない。

 こうしたことはすべて、白人優位の場で有色人種が沈黙させられる要因になる。白人と異なり、有色人種の仕事上の能力は、疑いの目で見られることが珍しくない。それに、黒人女性は、進歩的だというイメージをつくりたい企業がダイバーシティを重視しているように見せるための道具として使われることが多い。

 一方、本稿のもう一人の執筆者であるアンジー・ビーマンは、女性の大学教員と有色人種の大学教員が、人種差別についてどのように教えているかを研究テーマの一つにしてきた。

 ビーマンの研究によると、有色人種の教員は、授業の負担がことのほか大きかったり、有色人種の学生を指導する役割をとりわけ多く担わされたりするなど、多くの「目に見えない労働」を強いられている。

 有色人種の教員は、学生の抵抗に備えたり、そうした抵抗に対応したりするために、きわめて多くの時間を費やさなくてはならない。しかし、そうした努力は、大学での終身在職権の獲得や昇進においてほとんど考慮されない。むしろ、これらの負担によって論文執筆の時間が奪われて、終身在職権の獲得や昇進の妨げになっているのが実情だ。

 ビーマンはメラクと同じく、白人たちが不快な思いをしないように、有色人種が周りに合わせたりみずからの感情をマネジメントしたりせざるをえなくなっていることに気づいた。大学で生き延びるために、そうするほかにない場合も多い。

 有色人種の教員は、終身在職権を獲得したり、昇進したりするまで、不正義や不平等に声を上げないほうがよいと感じることもある。それどころか、大学で敵意を向けられた人は、職場での役職から手を引いたり、退職を選んだりすることが多い。

 そうした態度を取ると、白人の同僚たちは、職場への参加意識が低いとか、同僚とのコミュニケーションに消極的だなどと批判する場合がある。そのような印象を持たれてしまうと、終身在職権の獲得や昇進に悪い影響が及びかねない。

 ほかの多くの分野と同様、アカデミズムの世界でも、黒人女性の割合はかなり少ない。アカデミズムの世界で生きてきた黒人女性であるメラクは、白人がいかに黒人を軽んじているかを思い知らされてきた。みずからを進歩派と位置づけている白人たちにも、そのような行動がしばしば見られた。

 妊娠7ヵ月の頃、大学のエレベーターで年長の白人男性教員と一緒になった。そのとき、その人物は学生も大勢乗っているエレベーターの中で、メラクのお腹を見てこう言った。「おいおい。ほんとに? きみのキャリアはもうおしまいだね」。この発言は、社会学者のアディア・ハーヴェイ・ウィングフィールドが指摘する「ジェンダー化された人種差別の制度化」の実例と見なせる。

 ウィングフィールドの主張によれば、社会学者のジョー R. フィーギンが言うところの「白人的人種観」にも、ジェンダーに関する偏見の影響が及ぶ。ここで言う白人的人種観とは、白人主導の支配的な見方で、物事を白人の視点だけで見ようとするものである(ただし、有色人種もこのような見方を抱く場合がある)。

 この中には、イデオロギー、イメージ、固定観念、先入観、人種差別的な解釈などが含まれる。白人的人種観は、白人を有色人種より優れた存在と位置づけ、白人の特権と力を強化し、人種間の不平等を継続させる作用を持つ。

「ジェンダー化された人種差別の制度化」の考え方は、人種とジェンダーの間に不可分の関係があり、それが人種やジェンダーによって異なる経験を生み出すと考える。黒人女性は、ほかの社会的アイデンティティの持ち主が経験しないような形で、人種面とジェンダー面で被支配的な立場に置かれる。

 妊娠中のエレベーターでの会話のあと、メラクが取る羽目になった行動は、黒人女性が強いられる「目に見えない労働」の典型と言える。そのときメラクは、白人男性教員の攻撃的な言葉が人種差別的で性差別的なものであると直接指摘しないわけにいかなかったのだ。

 この出来事は、単なるエレベーターでの軽率な一言として片づけられるものではない。日々、このようなやり取りが繰り返されることにより、有色人種には重い負担がのしかかっている。

 韓国系米国人であるビーマンは、白人中心のコミュニティで子ども時代を過ごし、「チンク」(「中国人」の意)という東洋人への蔑称を浴びせられて、日々嫌がらせを受けていた。

 母親は、英語の訛りを理由にしばしば嘲笑を浴びせられた。ビーマン自身も、白人の近隣住人やクラスメートから馬鹿にされたり、いじめられたり、物理的な暴力を振るわれたりした。

 そのような経験を重ねるにつれていっそう、思わず沈黙を選ぶことが増えた。これ以上、敵を増やすリスクを冒したくないと考えていたのだ。

 ビーマンはこれまで、白人の同僚たちから人種差別的振る舞いを受けてきた。その相手の中には、進歩派を自任する人も少なくなかった。

 たとえば、面接のときにエスニシティについて尋ねられたり、韓国料理の名前で呼ばれたりしたこともあった。黒人ではないという理由で、私的・職業的経験に大きな意味がないと決めつけられたこともあったし、「アジア人女性が好みだ」と言う教員たちによるセクシュアル・ハラスメントを受けたりしたこともあった。

 ビーマンは、白人の同僚からの人種差別的な攻撃を日々受けていて、それに対処するために情緒的・認知的なエネルギーを費やさなくてはならない。これも「目に見えない労働」の一種だ。

 そのような負担を課されているために、学部の活動に深く関われなかったり、学術コミュニティで自分が尊重されていると感じられなかったりすることがあった。多くの有色人種の大学教員がそうであるように、自分の業績や評判が傷つかないようにするために(白人教員以上に)多くの時間と労力を費やさなくてはならない。