誰と誰が盟友になるかを白人が決める

 韓国系米国人であるビーマンの置かれた状況は、アフリカ系米国人の同僚たちとは異なるが、共通する問題もある。それは、白人のような特権を手にできていないということだ。

 ビーマンには、アフリカ系米国人とアジア系米国人の強力なメンターがいた。メンターたちは、学術研究に関してあと押ししてくれただけでなく、人種差別を受けた経験を語ったときに親身になって話を聞き、差別と戦うのを助けてくれた。

 ビーマンの経験を否定したり、それが大した問題でないと言ったりはしなかった。そのような敬意を欠く反応を示したのは、白人の(しかも進歩派であるはずの)同僚だけだった。

 あるとき、ビーマンがアフリカ系米国人と一緒に有色人種の集まりに参加し、アカデミズムにおける人種差別について語ったとき、白人の同僚たちは、ビーマンの人種的アイデンティティを問題にし、そのような会合に参加する資格があるのかと言った。

 こんなことを言う黒人の同僚は、一人もいなかった。白人の同僚の中には黒人の同僚たちに対して、ビーマンは「名誉白人」であり、黒人と連帯すべき存在ではないとわざわざ言った人たちまでいた。

 この行動も「リベラルな白人優越主義」の一種だ。どの有色人種同士が連帯してよいかを、白人が指図しようとしているのだ。しかも、こうした白人たちは、みずからの人種的な立場に目を向けず、白人としての特権を認識しようとしない。このように有色人種同士を分断させる行動により、有色人種はますます沈黙させられ、コントロールされてしまう。

 ビーマンが人種差別的ないじめやハラスメント、トラウマなどの経験を語ると、白人の同僚たちはたいてい、その事実を受け入れ難く感じるらしい。そのようなトラウマは、人種差別や反黒人主義についての研究と教育に取り組み、大学が人種的敵意を是正する義務を負っていると主張する原動力になってきた。

 しかし、白人の同僚たちは、こうした話をすることもやめさせようとする。白人の同僚たちは、ビーマンが従順で勤勉な「お手本のようなマイノリティ」として行動し、韓国料理のプルコギのレシピを教えるときのほうが、明らかに好印象を抱くように見える。

 今後、誰と誰が盟友になりうるのか、盟友とはどのような存在なのかを考え直すべきだ。その一つの目的は、白人優位の場を存続させてきた固定観念や偏見を再生産し続けてきたのが白人教員たちであると再認識することにある。

 そうした白人教員たちは、人種間の平等を重んじていると自称するが、私たちに言わせれば、そんなことはまったくない。