1. 見に行って、確かめる
事実をしっかり把握していないと、愚策に飛びついてしまいやすい。そして自分のデスク、オフィス、会議室から離れて外に出なければ、その事実は手に入らない。事実の収集は、綿密な観察によって成り立つものだ。
私たちはスプレッドシートや報告書にしばしば頼りがちだが、それらは単なるデータであり、現実を2次元で表現したものにすぎない。データは、組み立てラインで機械がどれほど頻繁に故障するかを伝える。直接観察して得た事実は、機械が汚れて油にまみれ、長らく掃除やメンテナンスがされていないことを見せつける。
データは、従業員がズーム会議に定刻通りに参加していないことを示す。従業員との面談を通じて集めた事実は、次のことを明らかにする。
親が子どもをオンライン授業の席に着かせているため、9時からの会議は厳しい。子どもに昼食をつくっているため、12時半からの会議は難しい。ビデオ会議を立て続けにすると、次の会議までに必要な休憩時間がなくなる。従業員は少しぐらい休む暇が必要だ。
事実を欠いたデータが見せるのは、平面的でモノクロの世界だ。データを欠いた事実は色と質感を伝えるが、最もやっかいな問題の解決に必要となる精緻な洞察はもたらさない。したがって有益な結論を見出すには、両方を考慮すべきである。
2. 問題を適切にフレーミングする
問題の提起を正しく行うことは簡単そうに思えるが、いくつかの理由から実は難しい。まず、「現象」と「根本的問題」を取り違えやすい。
たとえば、ミシガン州フリントに住むある子どもが、学校での行動に問題があり、文章の読解にも苦労している。これらを解決すべき問題として注視することが、この子を助けることになると考える人もいるかもしれない。しかし、これらは現象にすぎない。真の問題は、市の水道システムが鉛で汚染されていることである。
問題を適切に提起すれば、議論と選択肢への道が開かれる。不適切な場合、代替となる選択肢が閉ざされ、すぐに安直な思考へと行き詰まってしまう。
次の2つの問題提起を考えてみよう。
(1)この病院にはもっと人工呼吸器が必要だ。
(2)この病院は、人工呼吸器の入手可能性をもっと高める必要がある。
1つ目の問題提起は実質的に、問題ではまったくないことに注意しよう。これは答えである。より多くの人工呼吸器が必要であれば、唯一可能な対応として、人工呼吸器をもっと買えばよい。
2つ目の問題提起に対する解決策は何だろうか。明白ではない。それはよいことだ。なぜなら、より深く考えるよう迫るからである。暗黙の判断(もっと人工呼吸器が必要だ)を避けることで、よりよい解決策を生み出すための問いが提起される。
現在修理中の人工呼吸器は何台あるのか。全機器を使用可能な状態に保つための予防保全を、十分に実施しているのか。すべての人工呼吸器の所在は明らかなのか、それとも看護師らが一部を「隠し在庫」として持っているのか(ほとんどの病院で実際に起きている問題だ)。一人の患者から次の患者に人工呼吸器を移す所要時間はどの程度か。ほかの病院では余剰在庫がないか、分けてもらうことは可能か――。
提起した問題に一つの解決策しかない場合、考え直すべきだ。意見や判断や解釈の前に、まずは観察可能な事実から始めよう。