
上司から嫌がらせを受けたり、侮辱されたりした経験を持つ人は多い。虐待的な行為をした人物が、自分の行いを真摯に謝罪することはない。部下にプレゼントを贈ったり、仕事で便宜を図ったりして、水に流そうとすることがほとんどだ。あなたがそこで許してしまうと、有害な上司に反省を促すどころか、虐待的な行為を助長する可能性があると、筆者らは指摘する。
部下をいじめ、侮辱する上司の下で働いた経験がある人は、あまりに多い。人前でけなす、プライバシーを侵害する、陰で噂話をするなど、その形はさまざまだ。
こうした有害な行為は従業員の不満やストレスにつながるだけでなく、アルコール依存症、家庭内の争い、健康上の問題といった、より大きな害のある結果をもたらす。にもかかわらず、虐待的な上司は被害を与え続け、破壊の跡を残す。
それでは、なぜ組織や従業員は、有害な上司に耐えているように見えるのか。
筆者らは『パーソネル・サイコロジー』誌で発表した最近の研究で、一つの可能性について調べた。多くの人は有害な上司ともめた後、エイブラハム・リンカーンが「人間の本性の善」と表現したものに従い、特に上司がその野蛮な行為を償っているように見える場合は、その行為を許す傾向があるというものだ。
たとえば、リンドン・ジョンソン米元大統領はスタッフに対して冷酷だったことで悪名高く、耐えず公の場で非難し、夜中の何時でも電話をかけて用事を言いつけ、思い通りに即座に仕事をしないと物を投げつけた。
ジョンソンの長年の側近だったジョージ・リーディは回顧録の中で、ジョンソンの残酷さは「最後まで彼に尽くした人々にまで及んだ」と書いている。しかし、リーディが辞任を考えるたびに、ジョンソンはいつも「豪華なギフト」を贈るなどして、リーディが「不満を忘れて」仕え続けるようにした。リーディに対するジョンソンの虐待的な行為はともに働いた15年間続き、悪化していった。
ジョンソンのような上司は、延々と罵倒した後で部下に「親切にする」のではなく、むしろ実際には行動を改めることなく、自身の社会的イメージを操作するために「親切な振り」をしようとしているのかもしれない。
要するに、一部の上司は問題行為の後にいい顔をすることに長けているため、部下や上層部はそれを許して忘れてしまい、また同じことが繰り返され、そのサイクルが続くのだ。これが事実ならば、従業員や組織は無意識のうちに寛容になりすぎることで、有害な上司の行動を助長している可能性がある。