過去を語ることで得られる効果

入山:酒井先生のこのお話は、実務ですごく重要になりますね。

 酒井先生からご覧になって、日本企業はレトリックな表現が苦手だという感覚はありますか。

 私は、グローバル企業は、自社の歴史を語って使うのがすごくうまいなと感じることが多いです。とりわけ、アメリカ企業は、歴史が浅く、しかも人材の流出も激しい。歴史を語る、まさにレトリカルヒストリーをやらないと、人が巻き込めないという側面があるように思います。一方、日本企業はこれまでは終身雇用が定着していて、必要性が低かったのかもしれません。

酒井:入山先生がおっしゃるように、組織アイデンティティを変化させたり、組織をまとめたりするために、意図的に歴史を使う企業は、グローバル企業に多いように感じます。もしかすると、日本企業はあまりうまくないかもしれません。

 バース大学のマイリー・マクリーンたちが、レトリカルヒストリーの研究でP&Gを取り上げているのですが、入山先生の指摘と重なりますね。その研究では、P&Gが業態を転換していく過程で、過去を掘り起こして語ることで、アイデンティティを確立し、社員の所属意識を高めていた話が出ています。

入山:私は今、歴史の長い日本企業に対して、よく「バトンタッチという概念をちゃんと考えましょう」という話をしているんです。創業者の思いや、過去の歴史があって今があり、そして30年後の未来がある。みなさんがやることは、創業の思いから30年後の未来に向けてのバトンをつなぐ、という意識が大事なんだと。この話をすることで、社員のアイデンティティが高まるというのが、私の実務的な感覚でもあります。

 日本の会社は未来の話はよくしますが、過去からつながるストーリーを語ることを、もっと実践してもよいのでしょうね。

酒井:今後も、さまざまなレトリカルヒストリーの研究成果が出てくると思います。その知見を、日本の実務家に伝えていきたいと思っています。私自身も、学術的に貢献したいですね。

入山:実務的に価値があるし、研究としても時代にマッチしていますね。ちなみに、酒井先生はこのレトリカルヒストリーについて、どういった観点から研究をされているのですか。

酒井:レトリカルヒストリー、あるいは「歴史の利用」の分野では、近年、歴史的文脈から切り離された普遍的命題のような形で、研究成果が提示される研究が多くなってきているように感じます。

 例えば、ある時代に特定の企業X社が用いたレトリカルヒストリーを分析していたはずなのに、最終的にはそのX社が置かれていた固有の文脈は後景に退けられて、抽出されたレトリカルヒストリーの類型A・B・Cが、普遍的に有効であるかのような装いで提示されている、といったタイプの研究です。

 もっと、このレトリカルヒストリーが有効だったのは、どういった文脈においてだったのか、といった視点からの分析が必要だと思いますね。

 あとは、ある類型のレトリカルヒストリーがある成果を即座にもたらすといった、短くシンプルな因果関係が想定されていることが多いようにも感じます。あるレトリカルヒストリーが中長期的にどんな結果を生み出していくのか、そうした長い時間軸での研究も少しずつ出てきていますが、今後さらに重要になると思っています。

 つまり、レトリカルヒストリーに、時代や時間という「歴史性」を取り戻していく試みです。

 2022年6月発行の『組織科学』で、武蔵大学の古瀬公博先生と一緒に、「経営・組織論研究における歴史的転回」という特集号の責任編集を務めました。いま言ったような話は、その特集号の巻頭論文(東京都立大学の井澤龍先生との共著)に、詳しく書いてあります。いまは、そのような歴史性を取り戻す方向に向かって、いくつかの日本企業や、病院組織などを取りあげて、レトリカルヒストリー、「歴史の利用」に関する研究を進めているところです。

入山:それはまた新しい!論文の発表が楽しみです。

 

【関連記事・論文】
対談連載「経営学の最前線を訪ねて」の過去記事はこちら
入山章栄氏と野中郁次郎氏による対談はこちら
動画連載「入山章栄の世界標準の経営理論」はこちら

【著作紹介】

『世界標準の経営理論』(ダイヤモンド社)

世界の経営学では、複雑なビジネス・経営・組織のメカニズムを解き明かすために、「経営理論」が発展してきた。
その膨大な検証の蓄積から、「ビジネスの真理に肉薄している可能性が高い」として生き残ってきた「標準理論」とでも言うべきものが、約30ある。まさに世界の最高レベルの経営学者の、英知の結集である。これは、その標準理論を解放し、可能なかぎり網羅・体系的に、そして圧倒的なわかりやすさでまとめた史上初の書籍である。
本書は、大学生・(社会人)大学院生などには、初めて完全に体系化された「経営理論の教科書」となり、研究者には自身の専門以外の知見を得る「ガイドブック」となり、そしてビジネスパーソンには、ご自身の思考を深め、解放させる「軸」となるだろう。正解のない時代にこそ必要な「思考の軸」を、本書で得てほしい。

お買い求めはこちら
[Amazon.co.jp][紀伊國屋書店][楽天ブックス]