製薬産業で起きつつあるゲームチェンジ

濵田 たとえば、リアルワールドデータ(RWD:電子カルテ、調剤レセプト、健診データなど臨床現場で得られる医療データの総称)とAI(人工知能)による分析・シミュレーションを組み合わせることで、これまでになかった新しいアプローチでの創薬が可能になっています。デジタルの積極的な活用が製薬産業において、R&Dへの投下資本の量が競争を規定していたところからゲームチェンジを起こしつつある、というのが現在の様相だと考えています。

志済 その通りです。2030年に向けたロードマップ「CHUGAI DIGITAL VISION 2030」(中外デジタルビジョン2030)では、「デジタル基盤の強化」、研究開発や生産、営業など「すべてのバリューチェーン効率化」、そして、「デジタルを活用した革新的な新薬創出」を3つの基本戦略としています。

 革新的な新薬創出のための具体的施策としてはさらに3つの柱があり、1つ目がAIを活用した創薬です。AIを活用した医薬品候補分子探索や薬物動態予測、病理画像解析などを進めることで、研究プロセスの劇的な変革を実現したいと考えています。

志済聡子中外製薬上席執行役員
デジタルトランスフォーメーションユニット長
Satoko Shisai
1986年日本アイ・ビー・エム入社、北海道営業所配属。官公庁システム事業部、ソフトウエア事業部等で部長を歴任後、米IBM Corporationに出向。帰国後、2009年に執行役員公共事業部長。その後、執行役員としてセキュリティ事業本部長や公共営業本部長を歴任。2019年5月中外製薬に入社し、執行役員IT統轄部門長に就任。2022年4月より現職。

 2つ目の柱が、デジタルバイオマーカーへの取り組みです。デジタルバイオマーカーとは、スマートウォッチに代表されるウェアラブルデバイスから得られる患者さんの生理学的データを収集・解析し、病気の有無や治療による変化を可視化する指標です。この取り組みによって、当社が開発する薬剤の治療に対するアウトカムを可視化するだけでなく、疾患をより深く理解し、疾患の予防や超早期診断、予後のQOL向上に対して新しい価値を提供することを目指しています。

 3つ目の柱は、RWDの利活用です。RWDの利活用は、医師による診断・治療や健康管理・病気予防、介護などさまざまな分野で成果が期待されていますが、当社としてはまずは希少疾患や小児疾患など患者数が少なく、大規模な臨床試験の実施が難しいケースで、有効性や安全性の証明にRWDを役立てることを目指しています。

濵田 国全体でのRWDの利活用という点で一つのハードルになりそうなのが、日本の生活者・患者のデジタルヘルスに対する意識です。アクセンチュアが2021年6月に世界14カ国で行った意識調査では、日本は第三者がヘルスケアデータを管理することへの信頼度が、諸外国に比べて低いことが明らかになりました。個人データを出したくないという負のインセンティブが働いているのです。

志済 マイナンバーカードもそうですが、利用者としてのベネフィットがもっと明らかになると、生活者や患者さんの意識も変わってくるのではないでしょうか。ご自分の健康状態に関するデータや薬歴、カルテ情報などにいつでもアクセスできて、受診先の病院が変わっても一元的にデータを管理・閲覧できるようになるとか、デジタル活用がウェルビーイングにもたらすメリットがもっと実感できるようになれば、空気感も変わっていくと思います。

濵田 生活者にいかに納得いただき、データを共有してもらえる形をつくれるかがカギですね。

濵田晋太朗アクセンチュア ビジネスコンサルティング本部
ストラテジーグループ
ライフサイエンスプラクティス
マネジング・ディレクター
Shintaro Hamada
慶應義塾大学卒業。ライフサイエンス・ヘルスケア業界を専門とし、デジタルによる成長戦略や企業変革、グローバル戦略、新規事業戦略等のプロジェクトを数多く推進。豊富な実績を有し、アクセンチュアの業界知見・論考をまとめるリードメンバー。『ヘルスケアの未来』『ヘルスケアの進化』(日本経済新聞出版)の監修に携わる。

 2011年からスマートシティ計画を推進している福島県会津若松市では、次のステップとして市民・地域主導によるデジタルイノベーションを目指しています。たとえば、市民が同意のうえでデータを提供し、それをヘルスケアや行政サービスなどさまざまな場面で役立てる取り組みを進めていますが、御社は会津若松市のコンソーシアムにも参加していらっしゃいますね。

志済 どの自治体にとっても、住民の健康はとても重要なテーマです。健康・医療ビッグデータの利活用により、住民・患者さん、自治体、医療者、医薬品・医療機器企業などが連携しながら、すべてのステークホルダーにとってベネフィットがある医療を実現することが大事です。そのためには、RWD利活用のエコシステムを構築する必要があり、その先駆けとなる取り組みとして会津若松市のコンソーシアムに参加しています。

濵田 個人の健康に関する健康・医療データを生涯にわたって記録するパーソナルヘルスレコードをエコシステム内で利活用できるようになれば、治療のフェーズだけではなく、予防あるいは予後も含めて、患者さんのペイシェントジャーニー全体が最適化されて、より健康的な未来を送れるようになることが期待されますね。