しかし、オルソンの主張は本当に正しいのか。彼の仮説が魅力的であることは確かだが、方法論と実証面で弱点があることも事実だ。

 オルソンは時代の先を行き、いち早くゲーム理論の考え方を援用した。ゲーム理論では、合理的な個人の戦略的なやり取りをモデル化する。オルソンの時代以降、経済学はより実証主義的、行動主義的な傾向を強めていった。その結果、これは妥当なことだが、人が合理的に行動するという前提に基づいて過度に一般化した結論を導き出すことは、昔よりも抑制されている。

 たとえば、2009年にノーベル経済学賞を受賞した政治経済学者のエリノア・オストロムは、人々が狭義の合理性の概念から外れた行動を取り、互いに協力し合う状況について論じた。オストロムは、人々がコミュニケーションを取り、互いの評判を形成し、他の人々の評判を評価できる状況において、オルソンが指摘したような協調の課題を克服できることを明らかにした。

 この考え方に従えば、どのような時に集団が組織化され、どのような時に組織化されないかに関するオルソンの仮説は、特定の条件下でしか成り立たないことになる。

 また、過去40年間で最大の地政学上の出来事が、オルソンの仮説を全面的に否定しているように見える。オルソンの主張が正しければ、1991年のソ連崩壊のように、安定と繁栄、そして政治的境界線が激しく揺さぶられた時には、利益団体が一掃されるはずだ。ところが、実際にはソ連崩壊の後、ロシア経済のダイナミズムが高まることはなかった。オリガルヒと呼ばれる、世界でも悪名高い寡占資本家層が急速に台頭したのである。

 深刻な危機下にあっても、既得権益はそう簡単に一掃されないということなのかもしれないし、利益団体の形成に時間は必要ないのかもしれない。いずれにせよ、オルソンの仮説は当たっていないように見える(オルソンはソ連崩壊後のロシアの経済的苦境について、ここで説明している)。

 これらの点を考慮すると、オルソンの『国家興亡論』は、米国経済が直面している問題を正確に説明したものというより、あくまでも一つの仮説、もっと言えば一つの挑発的な仮説として読むべきだろう。

 組織化された利益団体、特に産業界の利害を代弁する団体が腐敗を生み出す力と、彼らがどのように経済を蝕むかに関しては、『国家興亡論』以外にも数多くの優れた著作がある。それでも、いまオルソンの著書を再読することによって、そもそもそのような団体がなぜ、どのようにして形成されるのかという問いに、改めて向き合うことができる。

『国家興亡論』は、経済の老化が進むにつれて、利益団体が経済にもたらす弊害がますます大きくなっていくという仮説を提示するものだ。それが、一つの可能性にすぎないとしても、である。そして何より、過去半世紀の中でも指折りの政治経済学者が、いま世の中を賑わせている問題について、どのように考えていたかを知ることには大きな意義がある。

 オルソン自身、みずからの仮説には限界があることを率直に認めていた。この仮説は広範囲の現象を対象としているが、それによってすべての現象を説明できるわけではないことに気づいていたのだ。

 そして、人間が常にゲーム理論のモデル通りに行動するわけではないことも、オルソンは十分認識していた。『国家興亡論』の中で、「狂信者」の類いは投資収益率(ROI)を気にしないからこそ、組織を築こうとすると書いている。

 要するに、オルソンの考え方によれば、経済政策に対して最も大きな影響力をもつのは、利己的な合理主義者と、狂信的な非合理主義者だ。これは、それほど外れていないように思える。


"Why Economies Become Less Dynamic as They Age," HBR.org, September 23, 2022.