職場のいじめに関する神話

 いじめについてよくある神話──いじめは「他者に高い基準を課している」だけ、「負けず嫌いな性格」の表れにすぎないといった考え方──は、いじめが有害ではなく、むしろパフォーマンスの向上につながる可能性もあることを示唆している。しかし実際には、いじめや、いじめにまつわる神話は業績向上の足を引っ張っている。

 よくある思い込みとして、いじめを行うのは職場のスターパフォーマーであり、高いパフォーマンスを上げているから悪行も正当化される、というものがある。しかし、実際のスターパフォーマーはいじめる側ではなく、いじめのターゲットになる可能性が高い。

 いじめを行う人は凡庸なタイプであることが多いが、他人の手柄を横取りすることで、スターパフォーマーに見える場合もある。しかも、彼らは組織としての目標に突き動かされるわけではなく、みずからの利益のために行動しており、組織を犠牲にする場合も多い。

 いじめる側はしばしば、組織を大切にするハイパフォーマー(能力が高く、思いやりがあり、良心的な人)を妬み、こっそりといやがらせをしていることが研究によって明らかになっている。彼らはスターパフォーマーでないだけでなく、1人でスター2人分(見せかけのスターであるいじめを行なっている本人と、真のスターであるいじめの対象となっている人)の利益を打ち消し、さらなるコストを生じさせる可能性もある有害な存在なのだ。

 神話の中には、パーフォーマンスの低い人の改善を支援する「マネジメント」や「モチベーション」の一部であるとして、いじめを正当化するものもある。実際、パフォーマンスの低い人は凡庸な人よりもいじめに遭う可能性が高い。しかし、いじめによって彼らのパフォーマンスが改善されることはない。むしろ苦痛のせいで、パフォーマンスや創造性、コラボレーション、ビジネス目標の達成にとってさらなるマイナス要因となる可能性がある。

効果的でない介入

 いじめが個人の生産性や組織の業績に悪影響をもたらすことは、研究によって広く立証されている。残念なことに、組織がいじめ対策に乗り出しても、介入が効果を上げるケースはほとんどない。

 いじめへの従来型の対処法が成功しにくい重要な理由は以下の通りである。

いじめが起きてから対応するアプローチは、個人と組織が被害を受けた「後」に行われる。しかし、あらゆる職場のストレス要因に対抗する第一の防御ラインは、予防であるべきだ。いじめによって生じる被害を未然に防ぐことで、いじめが個人と組織にもたらすコストを回避できる。

いじめの立証と防止の責任をいじめられた側に負わせるアプローチは、いじめの経験がトラウマになるという事実、そしてトラウマの渦中で、生産性を維持しつつ自身のトラウマを記録することが大半の人にとって無理な要求だという事実を無視している。

 ルドミラの神経多様性に関する研究では、いじめられた側にとって最も困難な状況の一つが、いじめた相手と一緒に問題を「解明して解決する」ように指示されることだった。

 このプロセスは、不利な立場に置かれ、問題解決に使えるリソースが少ない人(いじめの対象になりやすい自閉症の従業員、トラウマや鬱に苦しんできた人、経済的に不利な立場の人など)に多大な負担がかかる。いじめを受けた側は、正当な結果を期待できない状況で、いじめの状況を文書にして報告するという苦しいプロセスをやり切るだけのリソースを持たないため、職場を去る可能性が高い。一方、いじめた側は新たなターゲット探しに乗り出す。

個人レベルに焦点を当てるアプローチとは、いじめられた側といじめた側の双方に対して、それぞれ自己主張のトレーニングと自制心やアンガーマネジメントのトレーニングを提供して人格を「改善」することで、いじめ問題に対処しようとする試みだ。この手法は、人格の安定性を無視しているだけでなく、さまざまな形のいじめに関わる対処困難な特性(利己的な権利意識や脆弱な自意識など)も無視している。

あからさまに行われる敵対的ないじめに焦点を当てると、隠れて行われるいじめにはまったく対応できない。