「もっと大きな船が必要」ではない
そして、2023年である。5月後半に発表されたガートナーの「CMO支出・戦略調査」によると、「もっと多く」の時代は終わりを迎えたようだ。
まず、強く浮き彫りになったのは、筆者らが調査した400社余りの北米企業と欧州企業のマーケティング予算がコロナ前の水準に戻っていないということだった。次に、前年の2022年調査では、企業の売り上げに占めるマーケティング予算の割合が増加していたが、それも減少に転じている。その割合は、2022年が平均9.5%だったのに対し、2023年は平均9.1%に留まっているのだ。
全社レベルの予算に関するトレンド以上に気掛かりなのは、マーケティング支出の「購買力」が落ち込んで見えることかもしれない。コストの増大(人件費とデジタルメディアのコストが膨らんでいる)と、成果の減少(マーケティング・テクノロジーの稼働率が低下している)により、言ってみれば、消費者の「生活費危機」のような状況が生まれている。この1年半ほど、多くの国の消費者が経験してきたのと同様のことがマーケティングに起きているのだ。
一言で言うと、マーケティングに1ドル費やすことによって得られる成果が以前より少なくなったのである。その結果として、「もっと多く」の時代から「もっと少なく」の時代への移行が極めて明確に進んだ。
「もっと少なく」の時代への転換が財務と心理にもたらしている影響は、2023年の調査結果にはっきりと表れている。この調査の回答者の70%以上が「マーケティング戦略を有効に実行するために十分な予算やリソースを確保できていない」と述べている。また、75%の人が「より少ない予算でより多くの成果を上げるよう会社から求められている」と感じており、86%の人が「持続可能な成果を上げるためにマーケティングのやり方を大幅に変えることを求められている」と述べている。
この調査結果で最も驚くべきなのは、企業がテクノロジーへの投資に関して忍耐力を失い始めているという点かもしれない。何しろ、マーケティングテクノロジーへの投資を減らすよう求める圧力を感じている人が回答者の4人に3人に達しているのである。これは、数年前に想像もできなかったことだ。
それだけではない。2023年の調査によると、もう逆戻りすることのない潮流のように思われていたデジタルメディアの台頭にもブレーキがかかった。マーケティング予算におけるデジタルチャネルとオフラインチャネルへの配分率を見ると、デジタルチャネルの割合は、前年比で1ポイント低い55%だった。
つまり、2023年においては、数年前とは異なり、デジタルとテクノロジーへの支出を増やせば、最終的にCMOが職を失う可能性が十分にあるのだ。1975年の映画『ジョーズ』の有名なせりふを借りれば、「もっと大きな船が必要」(You're Gonna Need a Bigger Boat)なのではない。求められているのは「もっと効率のよい船」なのだ。
「もっと少なく」の時代に適応する
1970年代の映画の話題を続ければ、映画監督のフランシス・フォード・コッポラが1979年の大作『地獄の黙示録』の制作過程について語った有名な言葉がある。その言葉とは、「人が多すぎ、利用できる資金も機材も多すぎた。そして、私たちは少しずつ正気を失っていった」というものである。CMOたちがコッポラの言うような過剰な状態を経験してきたとまで言いたいわけではない。
しかし、このコッポラの言葉は、「もっと多く」の時代について回る大きな課題を明確に描き出している。時には、「もっと多く」が「もっと少なく」しか生み出さない場合もあるのだ。これは裏を返せば、「もっと少なく」から「もっと多く」を生み出す可能性があるといえる。
しかし、「もっと少なく」から「もっと多く」を生み出そう、というのは、陳腐な常套句だ。言葉にすることは簡単だが、実行することははるかに難しい。それが難しい理由は、ほとんどの企業リーダーが「もっと多く」を好む点にある。
筆者は、長年にわたってCMOを含む何千人ものマーケティングリーダーたちと対話してきた。その会話の多くは、「どうすれば、マーケティング予算の増額を説得できるのか」というのがテーマだ。そのほかに多いのは、「削減可能な人材と、失うわけにはいかない人材をどのように判別すればよいのか」というテーマに関わる会話である。
これらの根本的な問いに対する答えは、輝かしい最新テクノロジーの中にはない。問いに答えるためには、日常生活で「野菜をきちんと食べなさい」という教えを実践するのと同じように、戦略面で基本をおろそかにしないことが重要だ。つまり、リーダーは、強固なプランの下でマーケティング活動の範囲をはっきりさせ、その活動が会社の目標とどのように合致するかを徹底的に明確化しなくてはならない。
しかも、そのプランにおいては、日々のビジネスを継続するための見込み客と売上げをもたらす「目先の行動」と、ブランドの差別化と成長に寄与する「将来に向けた投資」を並行しておこなう必要がある。そのためには、細部まで気を配ったストーリーを用意し、マーケティング部門が会社全体に対して示す価値提案を明確化しなくてはならない。マーケティング活動によって、どのような投資に対するリターンが期待できるかということだけでなく、どのように会社の目的に向けて前進できるのかを示すことが求められるのだ。
前提として、そのような価値に関するストーリーを築くためには、計量経済モデルやアトリビューション分析だけでは十分でないという点を認識すべきだ。これらの手法はあくまでも目的達成のための手段であって、目的そのものと履き違えてはならない。ここで重要なのは、マーケティングを通じてどうやって価値を生み出すかについて、ステークホルダーが共通の理解を持つことだ。
また、不確実性に満ちた現状を受け入れて、その状況を掘り下げて検討すること、そして、有力な戦略上のツールであるシナリオ・プランニングとセンシティビティ分析を活用し、重大で広く蔓延している問題について理解を深めることも求められる。問題に適切に対処するための戦略上の選択肢を考案することが狙いだ。
好ましい戦略マネジメントを実践するための大原則に従えば、マーケターは、よけいなものを取り除き、目標達成につながる可能性が最も高い少数のものに集中するためのプランを築く必要がある。
この点を、ガートナーでは、「もっと多く」の専制支配からの解放という言葉で表現している。CMOがそれを成し遂げるためには、リーダーシップの3つの重要な要素を重んじて行動することが有効だ。その3つの要素とは、以下の通りである。
明確性:明確な選択を行うことが重要だ。CMOは、推進している戦略の下で何が支持されて、何が支持されていないのかをはっきり示さなくてはならない。そして、それと同じくらい重要なのは、採用されなかった取り組みにも目を配り、それが不採用となった理由を明確に示すことだ。
勇気:チームのメンバーに難しい問いを投げかける勇気を持たなくてはならない。その実践により、誤った思い込みや、戦略に関する感傷的態度、有害な文化的規範をあぶり出す。たとえば、いわゆるサンクコストに関するバイアスを取り除いて、「このプログラムにすでに10万ドルをつぎ込んだからと言って、さらに10万ドルを注ぎ込むべきだということにはならない」と考えなくてはならない。また、前例踏襲主義的な発想も払いのける必要がある。ある投資が3年前に理にかなったものだったからと言って、翌年以降もそうだとは限らない。大がかかりな投資はすべて、過去の目標ではなく、未来の目標に向けて、測定可能な形で寄与するものでなくてはならない。
人とのつながり:成功は、ほぼ例外なく、協働を通じて実現する。そして、成功をもたらす協働は、コミュニケーションと相互理解から始まる。CMOは、マーケティングプログラムが全社の目標にどのように寄与するかについて明確な理解を持って、その理解をCFOや最高戦略責任者(CSO)、最高情報責任者(CIO)などと共有しなくてはならない。加えて、マーケティングが価値創造に関わるほかの部門とどのように関わるかも理解する必要がある。マーケティング関係者が好む難解な指標やアルファベット3文字の略語の類いは、捨ててしまおう。マーケティング用語を一般的なビジネス用語に「翻訳」し、マーケティングをわかりやすく透明性のあるものにし、他部門の人たちとの連携を強化すべきだ。
AIについてどう考えるのか
「人工知能(AI)がすべてを一変させるのではないか」。そう思っている人もいるかもしれない。たしかに、AIは現状を根本から変える力を持っている。ひょっとすると、AIは新しいデジタル投資の時代への扉を開くのかもしれない。
しかし、現実はそう単純ではない。理由はいくつかある。
第1に、AIは、マーケティングの分野で取り立てて新しいものではない。実は、以前から活用されている。これまでずっと、あなたが用いてきた技術スタック、そして取引先や代理店が用いてきた技術スタックの中に隠れていて、目に見えていなかっただけだ。
第2に、生成AIの普及とともに期待が高まってはいるものの、近年のテクノロジー稼働率は低下している。ガートナーが2022年に実施した「マーケティング・テクノロジー調査」によると、マーケティングテクノロジーの稼働率は42%に留まっている。つまり、マーケティングテクノロジーに投資した金額の半分未満しか、有効に活用されていないのだ。ほぼ一貫してマーケティング予算全体の4分の1以上がマーケティングテクノロジーに費やされていることを考えると、成果がこの程度に留まっていることは、単なるテクノロジー上のリスクではなく、財務上のリスクでもあると言わざるをえない。
このような財務上のリスクがあるからといって、CMOが新しいテクノロジーを用いたソリューションを模索できなくなるわけではない。しかし、新しい活動に突き進む前に、慎重に検討することが求められるようになる。
「もっと多く」の時代は再びやって来るのか
企業財務の経験則から言うと、マーケティング予算は、その会社を取り巻く状況が厳しくなると、真っ先に大幅に削減されて、状況が落ち着きを取り戻してもゆっくりとしか増加しない。2023年半ばの時点では、ものごとが落ち着いたとはとても言えない。欧米諸国のGDP成長率の見通しは、気が滅入るほど低く、インフレも容易には解消しそうにない。しかも、そのほかの混乱要因がさらに増え続けている。このような状況を考えると、近い将来に企業のマーケティング予算が大幅に増加することは考えにくい。
しかし、すべてが真っ暗というわけではない。平均にばかり目を向けていると、企業ごとの違いが見えにくくなる。マーケティング予算の規模には、業種や地域によって大きなばらつきがあるのだ。
もしあなたが消費者向け製品のマーケティングを担うCMOだとすれば、2023年のマーケティング予算は、金融サービス関連の企業よりかなり充実している可能性が高い。また、もしあなたがドイツ企業のCMOだとすれば、英国企業より予算の状況は厳しいだろう。その一方で、2023年の筆者らの調査では、業種や地域を越えた全般的な傾向として、マーケティング予算はコロナ前の水準にまだ戻っていない。
では、2024年はどうなるのか。未来を予測しようと試みるのは、いかなる時も愚者の行動であることを忘れてはならない。もしかすると、新しいテクノロジー、新しい経験、新しいチャネルが登場し、マーケティングの新しい機会が生まれて、「もっと多く」の時代が再びやって来るかもしれない。あるいは、「もっと少なく」の時代に学んだ教訓に従い、マーケティング予算が増えたとしても、マーケティングのコストを抑えて効率性を高めようという動きが強まるのかもしれない。未来のことはわからない。