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ツールによる心理的安全性の侵害
「この会議は録音されています」
このフレーズを読んだ時、頭の中でお馴染みの機械の声が聞こえてきた人は多いだろう。会議を録音することは、多くの人にとっていまや当たり前の行動になっている。私たちが実行し、把握しておかなくてはならないことは、増えるばかりだ。そのような現実に対処するためには、会議を録音することが有効だと考えられているのだろう。
実際、これほど便利な方法は他にないようにも思える。コンピュータの操作一つで、会議で話された情報をもれなく録音できる。しかも、もう一つ操作を行えば、録音された音声をすべて文章に書き起こして、保存と検索をしやすい形にしてくれる。そのうえ、最近は生成AIの普及が急速に進んでいる結果、そのデータを瞬時にして要約することも可能になっている。要点を明らかにし、実行すべき課題を洗い出すこともできる。
これらのテクノロジーの登場により、私たちがオンライン会議の内容を記録することは格段に容易になった。新型コロナのパンデミック以降、ほとんどの人にとってオンライン会議の頻度が増していることを考えると、この点が持つ意味は大きい。
しかし、リーダーが見落としてはならないことがある。こうしたツールを利用することは、会議の出席者によって構成される集団の社会的構造、とりわけ出席者の心理的安全性とエンゲージメントの度合いに悪影響を及ぼす可能性があるのだ。
生成AIツールは、会議の力学をどのように変える可能性があるのか
心理的安全性とは、リスクを伴う行動を取ったり、自分の意見を述べたり、失敗を犯したりしても問題ないのだという認識が集団内で共有されている状況を指す言葉だ。グーグルの社内プロジェクトである「プロジェクト・アリストテレス」でも、チームの成功を左右する重要な要素の一つとして、心理的安全性を挙げている。
簡単にいうと、チームにせよ、組織にせよ、あるいは会議の出席者たちが形づくる集団にせよ、心理的安全性があるグループにおいては、メンバーの行動の予測可能性が高まるという利点がある。
問題は、会議の記録を残すと、それにより、言ってみればそのグループの境界線が変わることだ。会議を記録すれば、その内容が会議の出席者以外の人たちに、そして、出席者の一部もしくは全員が安心感を持てない人たちにも共有されやすくなる。自分の思っていることをあえて文章に記さないという選択をした経験を持つ人なら、筆者が言いたいことを理解できるだろう。
このような懸念は、メールや文書に関しても存在してきたものだが、こうした旧来の媒体の場合は、そこにどのような情報を盛り込んで、誰に共有するかを選別することが容易だった。しかし、新しいテクノロジーが登場したことにより、その種の懸念がグループの社会的力学に影響を及ぼす状況が生まれており、リーダーはその点を無視できなくなりつつある。
記録の作成だけでなく、生成AIによる要約の作成も、人々の心理的安全性に影響を及ぼす。こちらは、グループの境界線を変えるのではなく、コンテンツそのものを変えることにより、そうした影響を生み出す。
ビデオ会議ソフトウェアに会議の内容を要約するよう指示した場合、要約にどの情報を盛り込んで、どの情報を除外するのかを、ソフトウェアが判断することになる。筆者と共同研究者は最近、それを実感する経験をした。2人の打ち合わせの内容をAIに要約させたものに目を通したところ、要旨として記されていたことや「やるべきことリスト」として洗い出されていたことのかなりの割合が本題ではなく、雑談で話した内容だったのだ。
その雑談は、共同研究者が自宅のキッチンのタイルについて言及したことに端を発するものだった(AIが作成した要約の一部を紹介すると、以下の通りだ。「エイミーは、タイル店で見つけた新しい三角形のタイルへの興奮を口にした。ありきたりのサブウェイタイルとはまるで違う、とのことである。この発言に対して、マークは、実家のリフォームを行った時の経験について語った。その際は、一般的なサブウェイタイルを選んだという」)。
この一件は害のない笑い話と片づけられるが、アルゴリズムがタイルの話題を「やるべきことリスト」に含めたのは、いかにもありそうな話といえるだろう。アルゴリズムは、会話の本題とそれ以外の話題を区別できず、何を記録に残すべきかを適切に判断できないのだ。
また、AIは私たちの言葉遣いについても適切な判断をできないケースがある。実際の会話では注意深く言葉を選んだにもかかわらず、AIに要約を作成させると、ぶっきらぼうで、時に攻撃的な印象を与えかねない。
リーダーがAI会議ツールの利用の是非を熟考すべき理由
第一の理由は、心理的安全性が最終的な成果に直接的な影響を及ぼすという点だ。心理的安全性があると、データの質と、そのデータを用いて意思決定が行われるプロセスの両方が改善される。
イノベーションを促進するうえで、心理的安全性が果たす役割は極めて大きい。リスクを伴う行動を抜きにしてイノベーションは実現しえないからだ。会議の出席者たちが大胆なアイデアや現状への異論を記録されたくないと感じるたびに、イノベーションに欠かせない材料が失われていく。
第二の理由は、心理的安全性がコラボレーションを改善するという点だ。心理的安全性は、人と人の間の絆と信頼関係を強化する作用を持っているのだ。
筆者が企業の幹部たちを対象にチームダイナミクスのワークショップを行う際はいつも、みずからにとって最良のチーム体験について思い返し、それを最良のものにした要素を挙げるよう促す。すると、いつも決まって回答の上位に入ってくる要素が信頼だ。私たちが他の人たちに信頼されるための特に有効な方法としては、オープンであること、そして自分の弱さを見せることが挙げられるが、いずれも心理的安全性を感じていない状況では実践できない。
エイミー・エドモンドソンと筆者は、オンライン会議で同僚たちの前で弱さを見せたがらないリーダーがいることに触発されて、ハイブリッドワークの環境で心理的安全性を確保することの難しさをテーマにした記事を執筆したことがある。オンライン会議の内容が記録されるとすれば、この問題はいっそう深刻化するに違いない。
この点に関連して頭に入れておくべきなのは、25年近い研究の蓄積により、計画外の非公式な対話が同僚同士の互いに関する知識を育むうえで不可欠だとわかっているという点だ。そうした対話の機会は、リモートワークで離れた場所にいる人たちの間でコラボレーションを実現させようとする場合、とりわけ重要な意味を持つ。
第三は、心理的安全性が個人の能力開発と成長にとって極めて重要だという点だ。心理的安全性がある時、人は好奇心を抱き、実験することに前向きになる。私たちは安全だと感じていればいるほど、会議で新しい役割を担ってみようとしたり、確信があるわけではないアイデアを掘り下げたりしようとする可能性が高まる。
覚えておいてほしい。人間は基本的に既存の道筋を歩みたがるものだが、そうした道筋から外れて初めて、私たちは新しいことを学習し、新しいスキルを習得できる。ところが、私たちは、自分の言動を記録に取られている時、道を外れようとする可能性が小さくなるのだ。
AI会議ツールを用いるべきかどうかをどうやって判断すればよいか
多くの問題がそうであるように、この問題に対処するうえでも、最善の方法は、適切な問いをみずからに投げかけることだ。以下のような問いを検討するとよいだろう。
「なぜ」という問い
AIを活用して、会議の録音、書き起こし、要約を行えば、すべてを手動で行うより大幅に時間を節約できることは言うまでもない。しかし、リーダーがまず自問すべき最もシンプルな問いは、「なぜこの会議の内容を記録する必要があると思うのか」というものである。
この会議の目的は何か。この会議は意思決定を目的とするもので、最終結論に至った過程を証拠として残すために記録を作成したいのか。それとも、会議の目的はブレインストーミングで、次々と生まれる大量のアイデアを忘れないために記録を残したいのか。端的にいえば、記録の使い道に関して具体的な計画があるのか。それとも、活用方法をまだ探している段階なのか。
筆者は研究の一貫として、かなりの量のインタビュー調査を行う。そうした経験を重ねる中で、ずっと頭の中にあった問いがある。インタビューを録音して書き起こすためにかかるコストと、記録を作成することが生み出す弊害を考慮してもなお、インタビューの録音と書き起こしは行うに値するものなのか。それとも、インタビュー中にメモを取るだけでこと足りるのか。
AIで作成した書き起こしをあとで参照する機会は、どれくらいありそうか。その利点と上述の弊害を天秤にかけた場合、利点と弊害のどちらが大きいか。このような問いを自分に問いかけよう。また、録音するのではなく、自分でメモを取るようにすれば、みずからのエンゲージメントと集中力が高まるという利点もある。
具体的な使い道が決まっていなければ、いっさい会議の記録を作成すべきではない、などというつもりはない。時には、「いざという時のために」というのも、記録を残す立派な理由になる。しかし、記録を残さない場合にどれくらい悪い結果を招くのかと、自問することを忘れてはならない。
「どのような」という問い
次に、その会議での話し合いがどのようなものになると思うかを自問しよう。出席者の主張が激しくぶつかり合いそうか、それとも、ありきたりの無難な会議で終わりそうか。感情が燃え上がる可能性が高いか、それとも、穏やかな会話が交わされる可能性が高いか。
会議の場で緊張と対立が持ち上がるのは、いたって自然なことだ。このような要素は、成果を上げる組織には付き物といってもよい。そこで、出席者が記録されたくないと思うようなやり取りがなされる可能性が高ければ高いほど、会議の記録を残す必要が本当にあるのかどうかを検討したほうがよい。
以前、ある企業幹部は筆者に、議論が過熱するのを防ぐためにあえて録音を行うと打ち明けたことがある。しかし、さまざまな研究によると、グループ内の対立をマネジメントするには、規範を確立することとメンバーの役割を明確にすることのほうがはるかに好ましいことがわかっている。
「誰」という問い
出席者がどのような顔ぶれかも検討しよう。出席者全員が在職年数、権限や影響力、経験の面で同等のレベルにあるのか。出席者はお互いのことをどの程度よく知っているのか。メンバーは友人同士なのか、仕事上の知人同士なのか、それともまったくの初対面なのか。
力が弱い人たちは、メンバー間の力の格差が大きいグループを、リスクの大きい環境と感じやすい。そこで、力の弱い人たちの安心感をいっそう低下させかねない要素を本当に導入したいのかは、よく考えたほうがよい。また、よく知らない相手とやり取りすることは、どうしてもリスクが大きく感じられる。安全だと思えるだけの経験的な根拠が少ないからだ。
記録を作成することを歓迎する度合いには、同じチームのメンバーの間にも温度差がある。リーダーは、メンバー全体の心理的安全性のレベルよりも、最もリスクにさらされている人たちの心理的安全性のレベルに注意を払うべきだ。たとえていえば、重要なのは、川の水深の平均ではなく、いちばん深い箇所の水深なのだ。
「どのように」という問い
会議の記録を作成するかどうかをどのようにして決めるべきかを自問しよう。それは、リーダーである自分が決定を下すべきことなのか。それとも、チームのみんなで決めるべきことなのか。また、一貫した方針を打ち出すべきなのか。それとも、そのつど、必要に応じて判断すべきなのか。
この点に関しては、「オプトイン方式」(特段の決定を下した場合に限って実施)と「オプトアウト方式」(特段の決定を下さない限り実施)のどちらを採用するかによって、しばしば物事の結果に大きな違いが生じることを知っておくべきだ。この両者の違いは、臓器移植の制度設計をめぐる事例により、よく知られている(訳注:移植のために臓器を提供する意思を表示している人だけをドナーにする制度を採用するか、臓器提供を拒む意思を表示していない人はすべてドナーにする制度を採用するかによって、ドナーの数が大きく変わってくることがわかっている)。
また、記録が残される環境では心理的安全性を感じにくいだろうと考えるのであれば、そのような環境をつくっておいて、出席者に発言を期待するというのは、かなり矛盾した態度といわざるをえない。
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言うまでもないことだが、会議を録音し、書き起こし、要約すべきかどうかという決定は、別に生と死を分けるようなものではない。それよりもはるかに重大な決定を下す機会は、それこそ毎日のようにある。
とはいえ、会議の記録作成に関してどのような方針を採用するかがもたらす影響は、時間が経つにつれて次第に積み重なっていく。チームの力学と心理的安全性を重んじるリーダーは、会議の記録を作成するためのAIツールを採用すべきか、採用するとして、どのような目的で、どのような方法で用いるのかを少し考えてみたほうがよい。