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不可能な目標に取り組み続けるリーダー
ジョンはプライベートエクイティの支援を受けているテクノロジー企業のCRO(最高収益責任者)として、企業買収に関連して、途方もない売上目標の達成を求められ、強いプレッシャーに直面していた。彼は提示された目標が達成不可能であることを理解していた。イエスと答えれば、燃え尽きや失敗のリスクがある。ノーと答えれば、自分の信頼性が損なわれかねない。
問題は売上目標だけではなかった。会社はSaaSモデルへの移行、新しいCRM(顧客関係管理)の導入、チームの再編、出社義務の復活など、同時に複数の変革を進めている最中だった。
ジョンのジレンマは、昨今ではよくあることだ。変化は、もはや一時的な混乱ではなく、常態となっている。従業員は10年前と比べて5倍の計画的な変革イニシアティブを経験している。そこに非現実的な目標が加われば、結果は明白である。エンゲージメントの低下、燃え尽き、実行力の急激な低下──つまり、「変化疲れ」が蔓延する。
筆者たちはエグゼクティブコーチとして、不可能な目標に取り組むリーダーを数多く見てきた。彼らが無理な目標も引き受けるのは、判断力が欠けているからではない。拒否することが自分にとってリスクになるからだ。上層部からのプレッシャー、とにかく「イエス」と答える文化、激しい市場競争が、要求されたらコミットすることを唯一の安全な選択肢にしている。さらに、多くのリーダーは楽観バイアス、完璧主義、あるいは自分の価値を証明しなければならないという衝動に陥りがちで、そうした要因が意思決定能力を歪める。
真のリーダーシップスキルとは、すべてをやり遂げる方法を見出すことではない。いつ、どのように異議を唱えるかを知ることだ。そのカギになるのが「戦略的拒否」である。
戦略的拒否は、優先順位を重視して、チームの生産性や士気、ウェルビーイングを脅かす非現実的な要求を拒否するための構造化された手法である。その目的は責任を回避することではなく、チームを守り、長期的なパフォーマンスを維持して、持続可能な結果を確保することであり、そうしながらリーダーが自分の評判を守ることだ。
戦略的拒否には2つの主な構成要素がある。いつ行動するかを判断するためのマトリックスと、どのように行動するかを導くフレームワークだ。
戦略的拒否のマトリックス
複数の要求が競合する中で、仕事の優先順位を決定するのは難しい。特に、異議を唱えることがリスクに感じられる場合はなおさらである。戦略的拒否のマトリックスは、戦略的重要性(このイニシアティブはビジネスの長期的成功にどれほど寄与するか)と実行可能性(効果的に実行するための能力、リソース、タイムラインが備わっているか)という2つの評価軸に基づき、要求に対してコミットするか、再交渉するか、優先順位を下げるか、あるいは拒否するかを判断する、という構造化された手法である。
・戦略的重要性が低い+実行可能性が低い(図の左下)→拒否して、その正当性を説明する
「このイニシアティブは意味のある成果につながる可能性が低く、効果的に実行するだけの余力がありません。リソースは優先度の高い取り組みに集中させましょう」
・戦略的重要性が高い+実行可能性が低い(図の右下)→再交渉する
「このイニシアティブは重要ですが、現時点では質の高い実行に適切なリソースがありません。タイムラインの調整や追加の支援は可能でしょうか」
・戦略的重要性が低い+実行可能性が高い(図の左上)→優先順位を下げる
「これを実行することは可能ですが、より価値の高い業務から焦点が逸れてしまいます。いったん立ち止まって、後で再検討しましょう」
・戦略的重要性が高い+実行可能性が高い(図の右上)→コミットして、集中する
「これは重要であり実現可能でもあります。適切なリソースを割り当てて進めましょう」
戦略的拒否のフレームワーク
戦略的拒否のマトリックスによって、要求を「拒否する」「再交渉する」「優先順位を下げる」と判断できたなら、次のステップはその実行である。多くのリーダーがこの段階で立ち止まってしまうのは、自分が厄介な存在、非協力的、あるいは反抗的であると受け取られることを避けたいと考えるためである。以下の4つのステップは、変化疲れからチームを守り、自身の評判を損なうことなく、建設的かつ戦略的に異議を唱えるための実践的アプローチであり、長期的な計画でもある。
1. 「ノー」の言い方を見直す
メッセージの枠組みは、その受け取られ方に大きく影響する。拒否の表現方法を見直すことによって、目標達成の障害と見なされるか、優れた判断力の表れと見なされるかが決まる。拒否を、影響を見据えたリーダーシップの判断と捉えると、会話は選択を迫られる状況へと変わる。
拒否を優先順位づけとして捉え直す
たとえば「このイニシアティブはチームに過剰な負担となり、期限を守れなくなるでしょう」と述べるだけでは、否定的に受け取られがちである。あなたの決断を会社の戦略的な優先事項に結びつけて、たとえば次のように言う。
・「これに取り組むことはできますが、その場合はXを一時停止する必要があります」
・「成功したいからこそ、XとYに集中して適切に実行しましょう」
会話の軸を、タスクから影響へ移す
できないことを議論するのではなく、最も達成する価値のある目標に焦点を当てて会話を進めよう。たとえば次のように言う。
「この新しいイニシアティブに取り組む場合、重要なプロジェクトのいくつかを期限内に遂行できなくなるでしょう。新しいイニシアティブを確実に実行するためには、XあるいはYの優先順位を下げる必要があります。あなたから見て、どちらがより重要ですか」
ポイント:損失回避とは、人は利益を得ることよりも損失を避けることを優先する傾向を意味する。したがって、拒否を個人の能力の限界としてではなく、目標の未達、リソースの分散、実行の失敗など、ビジネス上の負の結果を回避するための判断と捉えなおす方が、より説得力を持つことが多い。
2. 「イエス」のコストを可視化する
シニアリーダーは、業務上の制約、リソース、リスクを十分に把握しないまま意思決定を行うことが多く、計画バイアスに陥って最良のシナリオを前提とし、課題を過小評価する傾向がある。「イエス」と言うことのコストを明確にすれば、優先順位づけが容易になる。
リーダーに業務の現実を直視させる
シニアリーダーを実行に関する議論に参加させることで、実行可能性の現状を直視させる。たとえば、次のように提案できる。
・「実行を担うチームとリーダーが集まって、タイムライン、リスク、能力を明確に理解しましょう」
・「コミットする前に、実行を担うチームに実行可能性を確認しましょう」
トレードオフを明らかにする
優先事項に基づいて意思決定を行うことで、経営陣がその結果を正確に評価しやすくなる。何が遅れ、後回しにされ、妥協されるのかを明示することで、情報に基づいた判断を促すことができる。これにより、拒否は責任あるリーダーシップとして捉えられる。たとえば、次のように伝えることができる。
・「その数字は達成可能ですが、製品開発を削減する必要があります。それでも問題ありあませんか」
・「この新しい目標を達成するために、これらの実行リスクを受け入れる用意はありますか」
実行可能な代替案を提示する
不可能なことを拒否するのではなく、可能な選択肢を示すことで、解決志向の姿勢を維持しながら、信頼性を高め、対立的に映らないようにすることができる。たとえば、次のように伝えることができる。
・「最優先事項を考えると、私のチームは新規事業ラインを6カ月で立ち上げることはできないでしょう。しかし、必要なリサーチと製品設計の草案を完了させて、来年の立ち上げに向けて準備することは可能です」
・「今すぐ40%増ではなく、25%増を持続可能な形で実現するというのはどうでしょうか」
ポイント:計画バイアスは、システム1の思考──すなわち、迅速で、確信を伴い、過度に楽観的な思考──の産物である。意思決定のスピードを意識的に落とすことで、トレードオフが明確になり、戦略的な焦点がより明瞭になる。
3. 戦略的拒否の文化を築く
優先順位づけは、個人の負担ではなく、組織に組み込まれたプロセスであるべきである。
効果的な組織は、難しい意思決定を個人に委ねるのではなく、目標を問い直し、変革イニシアティブをコミット前に評価することを組織文化として定着させている。こうした優れた判断力を意思決定プロセスに組み込み、体系化することで、意思決定は意図的かつ戦略的に行われ、たしかなデータと根拠に裏打ちされたものとなる。
レッドチームレビューを実施する
重要なイニシアティブを承認する前に、部門横断のチームを招集し、実行可能性のストレステストと影響の評価を行う。筆者たちが支援したあるCEOはこのアプローチを採用し、年間の優先課題を8件から3件に絞り込むことで、実行力を大幅に向上させた。これにより、リーダーたちは過度なコミットメントを回避し、影響力の高い取り組みに集中できるようになった。
プレモーテム(事前検証)を実施する
コミットする前に、イニシアティブが失敗する可能性を予測するためのセッションを実施する。たとえば、「このイニシアティブが6カ月後に失敗したとしたら、その原因は何か」と問うことで、リスクやリソース制約を明らかにすることをチームに促し、より現実的な計画の策定につなげる。
「キル条件」(中止基準)を設定する
主要なイニシアティブごとに、一時停止または中止を検討するための明確なシグナル(指標)を事前に定義しておく。これにより、事前に期待値を調整し、状況の変化に応じてサンクコストバイアスを最小限に抑えることができる。
ポイント:意思決定疲れは、優先順位づけの誤りを引き起こす。拒否を体系化することで、精神的な負荷を軽減し、実行の質の一貫性を保つことができる。
4. 戦略的拒否をモデル化する
真に強いリーダーは、最も多くを引き受ける人ではなく、最も的確に優先順位を付けられる人だ。筆者たちが支援してきた中でも特に高い成果を上げているCEOやエグゼクティブは、目標が非現実的である場合には、最終的に期待を裏切るのではなく、率直に声を上げてほしいとチームに求めている。
あるCEOはこう述べている。「私は常に新しいアイデアを出し続けるが、私に必要なのは、何が可能で、何が不可能で、その理由を説明できるリーダーだ」。無批判に同意した結果、目標を達成できないことは、最も望ましくない結末である。
拒否をビジネスの文脈で伝える
拒否は、影響、リスク、あるいはトレードオフの観点から説明することが重要である。個人的なリソースの問題として捉えられないようにする。エグゼクティブは、成果、顧客体験、またはビジネス上のリスクに焦点を当てた議論に最も適切に反応する。たとえば次のように説明することができる。
「これら3つの核心的な問題に集中すれば、顧客と業績に最大限の影響を与えることができます。手を広げすぎると、あらゆるところで成果に響くリスクがあります」
感情ではなくデータで主張を裏づける
筆者たちが支援したある医療機関のリーダーは、新たなイニシアティブに必要なリソースを定量化するための正式なリソース計画プロセスを構築した。これを可視化したことにより、優先順位の議論は主観的な意見交換から、事実に基づく意思決定へと変化した。その結果、優先順位づけは組織内で当然の行動として定着し、組織全体の姿勢が明確に示されるようになった。
ポイント:強固な意思決定プロセスを持つリーダーは信頼を獲得する。一方で、無批判に同意し、その後に成果を出せないリーダーは、信頼を損なうことになる。
* * *
すべてに「イエス」ということは、リーダーシップを強化するどころか、それを圧迫する。必要な時に「ノー」と言えるかどうかが、強いリーダーと成果を出せないリーダーを分ける要素である。戦略的に異議を唱えるリーダーは、扱いにくい存在としてではなく、信頼できる意思決定者、頼れる助言者、そして持続可能な成果を導く存在として評価される。彼らは懸命に働くだけでなく、優先順位を徹底的に見極め、それを貫く。
"When You're Asked to Meet Impossible Goals," HBR.org, May 07, 2025.