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職を失う不安に支配された時
解雇されることへの不安は、特にいまのような状況では、けっして珍しいことでも不合理なことでもない。米国ではレイオフ(一時解雇)件数が2020年以来の最高水準に達しており、政府部門の人員削減は前年比で実に41311%という異常な増加を示している。さらに、小売業、テクノロジー業界、非営利団体でも人員削減がますます一般的になってきている。
しかし、自分の職務が可能な限り安全であるという証拠があるにもかかわらず、仕事を失うことへの不安が頭の中を支配するようになったら、どうなるだろうか。
筆者は不安専門のクリニックで臨床心理士として働いているが、雇用の安定に対する過度な不安は、仕事に関連する悩みの中でも特に頻繁に見られるものである。それも無理はない。解雇されることは、個人生活にも職業人生にも激震をもたらすからである。
だが筆者のクライアントの多くは、業界全体の合理化や、資金削減の予定、低評価のパフォーマンスレビュー、あるいはPIP(パフォーマンス改善計画)への該当といった明確な兆候がない場合であっても、レイオフや解雇への不安を抱えている。また、安定または成長中の業界に属し、上司から肯定的な評価や定期的な面談を受けているにもかかわらず、雇用の不安を抱える人も多い。
心身に苦痛や機能障害をもたらすような不安は、全般性不安障害といった疾患の兆候である可能性があり、過度の心配がバーンアウト(燃え尽き症候群)、薬物乱用、あるいはうつ病を引き起こす原因となることもある。
幸い、苦しみ続ける必要はない。以下に、筆者がよく目にする失職に対する過度な不安の背景にある5つの典型的なケースと、その対処法を示す。
1. 感情を事実と誤認する
「不安を感じるのだから、自分の仕事は不安定に違いない」
クライアントのアリー(仮名、以下同)は、深刻なインポスター症候群に悩んで筆者の元を訪れた。彼女の評価は常に良好で、上司との関係も良好だった。さらに、過去1年間で昇進も果たしていた。それでも彼女は頻繁に無力感に襲われ、自分がすべてを偽っているように感じていた。プレゼンテーションや参加必須の会議の前、自分が見られている・評価されていると感じる時には、よく眠れないことが多かった。
アリーは「感情的推論」と呼ばれる一般的な認知バイアスに陥っていた。これは、感情を事実と誤認し、「私はそう感じるから、それは真実に違いない」と思い込むものである。彼女は不安を感じ、その感情を自分の能力がない証拠と捉え、他人も同じように感じていると考えていた。感情的推論の他の例としては、「嫉妬しているから、パートナーは浮気しているに違いない」「罪悪感があるから、私は何か悪いことをしたに違いない」といったものがある。
自分は能力がないという感覚に対抗しようとして、アリーは過剰補償に陥っていた。過剰に準備をし、過剰に働き、過剰に練習していた。しかし、こうした過剰補償は、彼女が自身の力で安全と雇用を保っていたという功績を奪うだけでなく、最初から能力があり有能だったという事実を覆い隠していた。
対処法:
過剰補償を少しずつ手放していく。これは180度の方向転換ではなく、過剰な準備からまったく準備をしない状態に急に切り替えるという話ではない。過剰な対応を抑えるとは、「働きすぎ」を「適切に働く」へ、「過剰な準備」を「適切な準備」へと戻すことを意味する。
アリーの場合、プレゼンの準備は徹底的に行うが、徹夜でリハーサルするのは控えるようにした。たとえば、チームの成果物が自分のイメージと少し違っても、自分でやり直そうとする衝動を抑える。または、スライドの修正が改善ではなく不安対処のための微調整に変わる境界を意識する、などがある。
自分を救うためだと思っている行動が、実は自分から成功を奪っていることはよくある。過剰補償を手放して初めて、そもそも補う必要などなかったことに気づくだろう。仕事に対する安心感が高まれば、自分自身にも安心できるようになる。
2. 結果を破滅的に誇張する
「この仕事を失えば、私は完全に破滅する」
クライアントのジーンは、仕事を失えば、安定した収入を得られなくなって妻と子どもに捨てられるだろうと不安だった。ミカは、混乱しアルコール依存に苦しむ実家に経済的に依存せざるをえなくなるのではないかと恐れていた。ビルはホームレスになって路上で暮らす自分を想像していた。彼らは皆、最悪のシナリオを、短編ホラー映画のように自分の頭の中で再生していた。
不確実な経済状況の中、多くの人にとって失業は重大な影響を及ぼす可能性がある。しかし、解雇への不安は、実は別の根深い恐れに根ざしていることがある。たとえば、家族が自分の稼ぎ目当てでそばにいるのではないかという不安や、あたかも引力に引き戻されるかのように、過去の悪い環境に逆戻りするのではないかという存在への恐れである。
不安は私たちを守るために設計されている。遠い先まで最悪のシナリオを想定し、備えることで、不意打ちを避けようとするのだ。進化論的には、ヒツジをオオカミと間違えるほうが、オオカミをヒツジと間違えるよりも安全である。しかし、ジーンやミカ、ビルのように、危険を過大評価し、見渡す限りオオカミばかりと感じてしまうこともある。
対処法:
もし厳しい市場での再就職以上に深刻な惨事を心配しているなら、その最悪のシナリオが現実になるまでに必要なすべてのステップを具体的に書き出してみよう。そのような事態が実現するまでには、多くの要因が重ならなければならない。
ある日、職に就いているミカが、翌日に突然実家の子ども部屋で暮らすような事態になることはない。それは、職を失う前兆を見逃し、状況を改善できず、退職金も失業手当も得られず、緊急資金を使い果たし、さらに住居費を抑えることもできなかった時というように、多くの事象が重なった結果にすぎない。
そこで、不安を数学の問題に変えてみよう。すべてのステップを書き出し、それぞれの発生確率を記し、掛け合わせてみる。最終的に得られる数字──最悪のシナリオが実現する確率──は、思っているよりもずっと低いはずだ。
最悪のシナリオは起こりうるか。答えはイエスだ。何事も起こりうる。しかし、それが本当に起こりそうか。
可能性と確率を混同してはならない。あらためて自問してみよう。このシナリオに私が費やしている心配の量は、それが起きる確率に見合っているだろうか。
3. 不確実な世界で確実性を求める
「上司とは定期的にやり取りしているが、自分のポジションを維持できるくらい期待に応えているかどうか心配だ」
いきなり解雇されたという話は、誰でも聞いたことがあるだろう。突然、解雇通知を受けた友人がいるかもしれない。たしかに、それは誰にでも起こりうることだ。しかし、リスクがまったく存在しない状況などない。道路を横断する時も、オンラインでクレジットカードを使う時も、常に何らかのリスクが伴う。仕事の世界も同様である。
詳細な計画を立てる人や、予想外の出来事を嫌う人は、リスクへの耐性が低かったり、あるいは確実性への欲求が強かったりすることが多い。私たちは、自分のポジションも上司からの評価も、安全で確実だという明確で揺るぎない保証を求めている。それが得られなければ、不安や動揺を感じてしまう。
確実性を強く求める傾向は、物事を「全部かゼロか」と捉える思考とも結びつきやすい。そのため、自分が100%確実に安全であるとわからない限り、自動的にリスクを感じてしまうのだ。
多くのマネジャーが、慢性的に曖昧で有効性に欠けるフィードバックしか与えないことも事実である。しかし、たとえそうであっても、不確実性との向き合い方を改善することで、問題の本質がどこにあるのかをより明確に把握できるようになる。
対処法:
この状況で使える手段は2つあり、互いに排他的ではなく両立する。すなわち、「変化」と「受容」である。
変化のアプローチとしては、「私はうまくやれていますか」といった曖昧な質問を上司にする代わりに、より具体的で実行可能な示唆を引き出せる質問を行うことが有効だ。
「私の役割において、次の四半期で最も重要な優先事項は何でしょうか」
「私が改善を図れる具体的なスキルや分野はありますか」
「いまチームにとって最大の課題は何だとお考えですか。その克服のために私がどのように貢献できるでしょうか」
一方で、上司との関係に不透明さがあり、どうしてもはっきりしない時には、逆の戦略を取るのも有効だ。すなわち、「少しのリスクに慣れる」こと。不確実性は、それに抗えば抗うほど、長引いてしまう傾向がある。
まず、いまのあなたにとって、仕事の安定性に関する不確実性にどのくらい耐えられるかを考える。少しか、ある程度か、たとえば2%か。ここで意識するのは、「不確実性そのもの」への耐性であって、「最悪の事態」への耐性ではない。答えが何であれ、不確実性に耐える余地があるということが重要だ。
次に、ポジションに関して感じる疑念、不安、混乱、心配といった感情的な反応に、どの程度耐えられるかを考えてみる。ここでも重要なのは、まったく受け入れられないわけではないという気持ちを持つことだ。
非科学的に聞こえるかもしれないが、不確実性や、それに対する自分の感情的反応を、たとえばペーパーウェイトやプラズマボールのような物体として思い描いてみよう。そして、それをデスクの上に置いてみる。完全に受け入れられなくてもよいが、そこに「存在していてよい」と思えるようにする。大切なのは、不確実性を取り除くことにエネルギーを使うのではなく、仕事に集中することにエネルギーを向ける練習をするということだ。
これが「受容」である。上司や同僚に繰り返し確認して不確実性を最小化しようとしたり、自分を守るために過剰に働いて安全網を作ろうとしたりする代わりに、避けられないある程度の不確実性にスペースを与えよう。
4. パフォーマンスと自己価値を混同する
「ホームランが打てないと、三振したように感じる」
クライアントのマークは自分に高くて厳しい基準を課し、それを達成すべく努力して、しばしば優れた結果を出している。彼の仕事は質が高く、ていねいで、細部まで行き届いている。ほとんどの場合、彼は抜群の成果を挙げている。
ところが、自分のプレゼン中にチームメンバーがあくびをしたり、上司にミスを指摘されたり、営業成績が悪くはないが特筆すべきものではなかった時、彼は失敗したと感じる──まるで三振したかのように。
上司やチームメンバーは、マークが自分に厳しくなりすぎないように促そうとして、「基準が高すぎるかもしれない」「十分なところでやめてもよい」と助言してきた。しかし、彼はこうした助言に反発する。高い基準を目指してきたからこそ、いまの自分があると考えているのだ。マークにとって職の安定感、さらには人間としての価値は、自分に課した厳しい基準を達成できるかどうかで上下する。
マークは「過剰評価」と呼ばれる現象に陥っている。これは仕事のパフォーマンスと自己価値を混同する考え方であり、自己批判と並んで臨床的な完璧主義の柱となる要素だ。自分の仕事に対する自己評価が、仕事そのものを超えて自分の人間性への評価となると、過剰評価にあたる。したがってマークが「十分なところでやめる」ことをためらうのも無理はない。完璧主義の思考においては、不完全な成果や平凡な結果で満足することは、自分自身が平凡で劣っていることを意味するからだ。
社会的に代表性の低いグループに属する人の場合、さらに複雑な要素が加わる。自分の仕事が、自分自身や、自分が属する集団全体の評価を象徴していると感じやすいからだ
実際、過剰評価は内面だけで生まれるのではなく、周囲の環境からももたらされる。人間は置かれた状況に反応するものだから、「自分の居場所を勝ち取らなければならない」「自分はここに属していない」という無言のメッセージを受け取った時、自分の価値を仕事で証明しようとするのは自然な反応である。
対処法:
自分自身と仕事の成果を完全に切り離すことは不可能である。うまくいけば誇らしく感じ、失敗すれば落ち込むのは当然だ。しかし、成功や失敗によって自己価値が上下したり、仕事が自分の人間性を測る基準になっていたりする場合は、まず仕事そのものに集中することを意識しよう。成果や困難を自己概念の一部に取り込みつつも、自己の価値がパフォーマンスによって決まるわけではないと自覚することが重要である。
大理石の塊を見つめる彫刻家のような気持ちで、「この作品をよりよくするにはどうすればよいか」と自問してみよう。皮肉なことに、仕事そのものの価値に集中する時にこそ、最もよい成果が生まれるものだ。
さらに、「タスクAは失敗したけど、タスクBはうまくいった」と比較して自分を安心させるのはやめよう。その代わりに、スタンフォード大学教授のジェフリー・コーエンとカリフォルニア大学サンタバーバラ校教授のデイビッド・シャーマンによる研究にならい、仕事とは無関係でも、自分が知っている真の自己を肯定することが効果的である。
「私は一貫性があり、思いやりのある友人だ」
「私は恵まれない人々を助けるために存在している」
「私は自分の子どもを心から愛している」
目的は、困難を無理に美化して自尊心を高めることではない。自分という存在の全体に、一貫して価値があると信じ続けることが目的である。
最後に、自分の仕事が個人を超えたより大きな何かを代表しているという重圧があるなら、職場内(たとえば従業員リソースグループやメンター制度)や職場外のコミュニティに頼ることで、心理的な保護となるだろう。
5. 人に気に入られることを職の安全と取り違える
「皆が私の仕事に満足していれば、私は解雇されないだろう」
ナタリーは、自分の仕事の結果だけでなくプロセスについても、同僚たちに多くのアドバイスを求める。「これで大丈夫だろうか」「マーティンとシャジアの助言、どちらを参考にすべきだろう」「これを棒グラフにしたら変に見えるだろうか」といった具合だ。そして彼女は、皆のフィードバックをできるだけ反映させようとする。仕事はしばしば、人を喜ばせるための消耗戦のように感じられるが、ナタリーにとって、周囲に好かれていることこそが、職の安定を測る基準になっている。
対処法:
他人の意見を自分でコントロールすることはできない。だからこそ、自分の仕事の質や職の安定感を他人の判断に委ねることは、常に不安定さを伴う。
ナタリーのような傾向がある人は、「他人に評価されたか」という物差しではなく、「自分の意図を実現できたか」「最初にやろうとしたことを成し遂げられたか」といった基準で、自分の仕事を評価するようにしよう。そうすることで、仕事に対する最も重要な評価──すなわち自分自身の評価──を自分の手にしっかりと保てる。
* * *
これら5つのシナリオのうち、どれに自分が当てはまるとしても、私たちの心は時として唐突に不安を突きつけてくる──「もし解雇されたら、どうしよう」といった形で。「もし」という問いは本来、答えを求めないものかもしれないが、あえてそこに答えてみよう。もし解雇されたら。さて、どうするか。
この問いに答えることは、すなわち事前に備えることでもある。どのような行動を取るか。誰に相談するか。どこで新しい仕事を探すか。そして何よりも、自分は予期せぬ事態にも対応できるし、その時が来たら行動できるということを、自分に言い聞かせることが大切である。
こうした不安はごく一般的なものだが、ときに通常レベルの不安を必要以上に増幅させてしまう。無理もない。解雇やレイオフは、実存的な不安が投影されやすい、目に見える出来事だからだ。たとえ正確ではなくても、「不安が落ち着く場所」としてわかりやすい対象なのである。
だが、自分自身の傾向を認識し、対処できるようになれば、仕事とのより健全でバランスの取れた関係を築くことができる。そして、人間として自然な不安に、仕事の安全が支配されないようにしていけるはずだ。
"When Your Layoff Anxiety Won't Go Away," HBR.org, May 14, 2025.
            
    

  
  
  
          
          
          
          
          


