しかし、事後的にイノベーションと呼ばれるようになったさまざまな事例を歴史的に分析してみると、このようなイメージはむしろ「神話」であって、多くのイノベーションが、最初は現状の小さな問題に対する解決を行う過程で生み出された無数の小さなアイデアから成り立っていること、また巷のイメージのように無から有を生み出す訳ではなく、目の前の問題に対して、既存の技術・アイデアを試行錯誤的に新たに組み合わせることで、新しい技術やビジネスモデルが生み出されることが指摘されています。

 つまり、問題解決の最初の段階では、「改善」も「イノベーション」も構造的には変わらず、目の前の小さな問題に対して、既存の技術・アイデアを総動員して、試行錯誤を通じて問題を解決する行為を指しているのです。

 ただ、「改善」と「イノベーション」の決定的な違いは、むしろ新たな問題解決アイデアが生み出された後で、この新しいアイデアがどのような社会的な問題に結び付き、応用されるかという社会的な意義・広がりにあると思われます。つまり、「改善」も「イノベーション」も、もとは同じ新たな問題解決アイデアなのですが、この新しいアイデアの社会的意義を見抜き、普及させることを通じて、いわば「イノベーション」は社会的に創造されるという側面が大きいのです。そして、このような役割を担う人々がアントレプレナーと呼ばれる人々です。

 このように考えると、社会の構造が変化する激動の時代においては、確かに適用範囲が広く社会的に及ぼす影響も大きな「イノベーション」が必要ですが、問題解決の初期段階では、試行錯誤を通じて目の前の小さな問題を解決するという意味で、「改善」も「イノベーション」も構造的には何も変わりません。そして、「今の時代、改革やイノベーションが必要だ」と唱えるだけで何も実行に移さないのであれば、他力本願的なイノベーション待望論が過熱するだけで、社会的には百害あって一利なしと言えるのではないでしょうか。たとえ小さな問題解決でも、目の前の「改善」を実行する意義がここにあると思われます。