ただ、徹底的な資産査定には、大きな問題がある。将来キャッシュフローの予測はともかく、民間並みの割引率を採用すると、これまで述べてきたように数兆円の資産評価損が出る可能性があるからである。この評価損により、平成22年度に2500億円程度にまで削減された連結欠損金が数兆円にまで膨れあがり、形式上、URが債務超過に陥る可能性がある。
もっとも、これは、計算上出てくる欠損金にすぎない。URのキャッシュフローが回っているかぎり、経営努力による毎年の利益によって徐々に解消されていく数字にすぎず、具体的に税金の投入が必要になるわけではない。言い換えると、実質的な国民負担を削減しようとすれば形式的な国民負担(欠損金)が出現してしまい、これまでのように形式的な国民負担が生じないように問題を先送りすれば、実質的な国民負担が増えるということである。
ここで問題となるのは次の1点である。形式的に債務超過に陥っている独立行政法人に対して、財投貸付を続けることができるかどうか。もし続けることができるなら、問題の過半は解決可能である。キャッシュフロー的に問題なく回るかぎりにおいて、この債務超過は形式的なものにすぎず、融資は将来回収することができる。
しかし、もし債務超過主体に融資を続けることができず、追加融資ができない、さらには融資引き揚げという事態になれば、URの資金繰りはただちに行き詰まる。現実的には、URを破綻させるわけにはいかないので、URを債務超過にしないよう、数兆円の債務を一般会計へ付け回すという議論になるかもしれない。国家財政厳しき折、これは許される選択肢ではない。
URの債務を一般会計に付け回すということは、今、生きている現役世代に高品質な住宅を低廉な価格で提供したツケを、まだ生まれていない将来世代の所得をピンハネすることで補充するということである。筆者個人は、これは倫理的に許されないことだと考えるが、これは結局のところ、高度な政治的判断に委ねられる問題であろう。現役世代に選挙権があり、将来世代に選挙権はない。将来世代は、ただ生まれた瞬間にその債務を背負うだけである。
法技術的に可能かどうかはよくわからないが、可能であれば、一般会計から償還優先株式類似のエクイティを注入することで、形式的な債務超過を避けるという手はあるかもしれない。投入したエクイティと欠損金を相殺することで、形式的な債務超過を解消するわけである。この場合、現状、URはキャッシュフロー的には回っているのであるから、注入された資金は実際には不要である。ただちに財投借入の返済に充てることができる。