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AIによる価値創出の方法
AI導入の世界的な潮流の中で、明らかにトップを走っているように見えるのは米国だ。一方、かつて技術革新で世界を牽引した日本は、後れを取っているように映る。
数字もそれを裏づけているようだ。マッキンゼー・アンド・カンパニーの最近の調査によれば、米国企業の88%が、少なくとも一つの業務機能でAIを活用している。これに対し、矢野経済研究所が2025年春に発表した類似の調査で、同様の回答をした日本企業は約26%に留まっていた。また、「スタンフォードAIインデックス2025」でも、2024年の民間AI投資額は米国が世界1位、日本は14位だった。
とはいえ、単純化された物語にありがちなように、こうした捉え方は誤解の元となりかねない。米国はAIの導入では先行しているかもしれないが、AIから価値を引き出すという点では先行しているとは言いがたい。
米国企業は歴史的なスピードでAIを導入してきたが、そのリターンは芳しくない。マッキンゼーの調査では、AI導入によってEBIT(利息及び税金控除前利益)に測定可能な影響があったと答えた企業は39%にすぎない。『ハーバード・ビジネス・レビュー』(HBR)に掲載された最近の研究でも、従業員はAIツールを試してはいるが、実際の業務に組み込めていないと指摘されている。
一方、日本には、AIを業務に深く組み込み、大きな価値を生み出すことに成功した企業がいくつか存在する。たとえば、トヨタでは2024年時点で、工場の現場作業員(データサイエンティストやIT部門ではなく)が、会社提供のツールを用いて1万件のAIモデルを構築し、効率性と生産性の顕著かつ測定可能な改善を実現していた。
この例が示すのは、スピードは重要だが、それだけで価値が生まれるわけではないということだ。米国であれ日本であれ、リーダーがこの決定的な違いを無視すれば、AI導入が停滞する可能性が高まってしまう。一方、両国で何が起きているのかを理解できれば、AI戦略を構築し、AI投資のROI(投資対効果)を実証しようとしている企業は、重要な教訓を得ることができる。
テクノロジー導入に関する基礎研究も、近年の研究も、価値創出は単に導入スピードによって決まるわけではなく、AIツールが組織の業務フローにどれだけ深く浸透しているかによって決まることを示している。筆者らがAI導入を主導する経営幹部と行った幅広いやり取りも、この知見を裏づけている。AIツールを業務フローに深く浸透させるという点において、米国と日本はいずれも、それぞれ異なる形で出遅れているのである。
2つの国の2つの失敗パターン
AIは、経済学で「汎用技術」(GPT)と呼ばれる技術群に分類される。電気やPCなどのイノベーションと同じカテゴリーで、その価値を実現するためには、単に導入するだけでなく、新たな業務フローやマネジメント手法、意思決定プロセスの再設計など、コストと時間を要する補完的な投資が必要となる。
歴史上の主要な汎用技術はいずれも、生産性がいったん低下した後に大きく向上するというパターンをたどってきた。米国の製造業を対象とした最近の研究によれば、AIも同じ軌跡をたどっているようだ。ただし、AI導入を語る際に、テクノロジーで説明できるのは半分にすぎず、残りの半分は組織の仕組みと企業文化にかかっている。
日米両国は、技術導入の分野で、分権的なアジリティと中央集権的な統制という根本的な緊張関係を体現している対照的な2カ国である。どちらの経済も技術革新を基盤としているが、マネジメントの手法と企業文化は大きく異なる。
歴史的に見ると、米国企業が早い段階での導入に付き物の無秩序で急速な組織再編を得意としてきたのに対し、日本企業は、構造化され、合意形成を重視する一貫したアプローチを好んできた。この違いは、技術導入によって生み出される価値にも影響している。
たとえば、2008年の米国勢調査局の研究では、米国の製造業がコンピュータネットワークの利用によって実現した生産性の向上効果は日本企業の2倍に達しており、その差が生じる原因として、米国企業のネットワークの活用方法が挙げられていた。その後の研究でも、新たな技術に合わせて組織を再編できるマネジメント手法が、米国企業の優れた成果を支えていることが確認されている。
米国企業が組織再編に成功した半面、テクノロジーが厳格で中央集権的な統制を必要とする段階に入ると、そのような柔軟なアプローチがうまく機能しなくなる。
AI活用を進める際には、業務フローを迅速に適応させる力と、組織としての厳格な統制の両面が必要となる。そのため、これまで日米それぞれの強みだった要素が弱みに変わってしまう。実際、AIに関しては、米国と日本はそれぞれ異なる形で失敗している。








