失敗に寛容な文化
人に創造性を発揮させ、リスクを取らせようとした場合、アメ(=金銭的報酬)もムチ(=ペナルティや危機意識)も効果がないことを説明した。アメもムチも効かないということはつまり、内発的な動機によってしかイノベーションは駆動されない、ということである。
ここで問題になって来るのが、組織が有している「失敗に対する寛容度」だ。失敗に対する寛容度が低すぎると、イノベーションに向けて内発的な動機を持った人間は飼殺しに合うか、転職せざるを得なくなるかのどちらかになってしまう。ところが、日本企業の多くは、この「失敗に対する寛容度」という点から大きな問題を抱えている。一言で言えば、日本企業の多くはトラブルを異常に恐れる体質、言わば「無謬の罠」とも言うべき病に冒されているのだ。
しかし一方で経営は営利活動である以上、野放図に失敗を奨励・許容するわけにはいかない。ここが難しい。リスクを取らなければイノベーションは発現しないし、野放図にリスクを取れば経営を危うくする。経営とはそもそも「矛盾のマネジメント」に他ならないが、この点からイノベーションマネジメントはまさに「矛盾」の塊なのである。ここでポイントになるのが、組織としての「リスクコントロール」だ。これは具体的にはイニシアチブのポートフォリオを持つことに他ならない。
ここで重要になってくる組織要件が「戦略ポートフォリオ」「人材配置」「評価システム」の三つである。
まず、組織が硬直的にリスクを忌避する、あるいはその逆に野放図にリスクを追求することを避けるには、「リスクのポートフォリオ」を持つことが必要になる。人間には今まで通りのことが未来も続くだろうと考える、あるいは続いてほしいと考える傾向=正常性バイアスを持っているので、戦略的にリスクを取りに行くということをしない限り、組織全体がリスク回避傾向を持つことになる。
一方で、リスクを取りに行けとハッパをかけて、組織全体のリスク性向を高めれば、経営を危うくすることになる。ここで、低リスクな取り組みと高リスクな取り組みをバランス良く取り入れる「リスクポートフォリオ」という考え方が必要になる。通常、ボストンコンサルティンググループが提唱したプロダクトポートフォリオでは、市場成長率と相対市場シェアを用いるが、リスクポートフォリオでは、リスクの大きさと期待収益を用いて、組織全体が過度にリスク回避性向、あるいは逆にリスク選好になっていないかをマネージして行くことが求められる。
次のポイントが人材配置の柔軟性である。実は、過去のイノベーション実現の成功事例を横串に並べて俯瞰した時、たった一つだけ共通項があることが知られている。それは大企業が実現したものであろうと、個人が実現したものであろうと、イノベーションの実現には常に「強烈な想いを持った個人の存在があった」ことである。先述した通り、イノベーションは「アメ」や「ムチ」によって駆動することは出来ない。ポイントは、イノベーションについて内発的な「想い」を持っている人を見出し、その人に「賭ける」ことなのだ。
ここで重要になって来るのが、人材登用の柔軟性だ。リスクポートフォリオによって、ある程度高リスクの事業への取り組みが設計されたとしても、その事業について強い想いを持っている人材をアサインできなければ事業の成功は覚束ない。イノベーションの実現というのは、ほとんど芸術作品を作る様なもので、熱狂的なエネルギーとコミットメントを必要とするわけだが、この様な要素は通常の「課題優先型」のエリートからは引き出す事は出来ない。あくまで「想い」を持った人材に任せることが重要なのである。
そして最後のポイントが「評価システム」である。低リスクな事業と高リスクの事業が混在し、それに様々な人材が関わる時、評価システムの設計・運用を誤ると高リスク事業に携わる人材に、著しいモチベーション低下が発生する可能性がある。昨今、日本企業の多くではMBO=目標管理型評価制度が導入されているが、MBOでは達成成果を数値化することが必要なので、高リスクな事業の立ち上げといった職務・業務の評価にはフィットしていないのである。
「着実に達成できて、かつ数値化してそれを示せるような目線の低い目標ばかりに、皆が取り組むようになった」というのは、MBOを導入した多くの企業において聞かれる嘆き声だ。高リスク事業に取り組むには、プロセス指標にせよ結果指標にせよ、数値化してパフォーマンスを管理する人事評価の仕組みはフィットしない。もっと「まるっとした」評価の仕組みとの柔軟な組み合わせ運用が求められる。