つまり、報酬を与えることによって、創造的に問題を解決する能力は向上するどころか、むしろ低下してしまうのである。実は、教育心理学の世界では、この他数多くの実験から、報酬、とくに「予告された」報酬は、人間の創造的な問題解決能力を著しく毀損することが分かっている。これらの実験結果は、通常ビジネスの世界で常識として行われている報酬政策が、意味がないどころか、むしろ組織の創造性を低下させている可能性があることを示唆している。つまり「アメ」は組織の創造性を高める上では意味がないのである。
では一方の「ムチ」はどうなのだろうか?こちらも心理学の知見からはどうも分が悪いようだ。脳には、確実なものと不確実なものをバランスさせる一種のアカウンティングシステムがある。何かにチャレンジするというのは不確実な行為だか、らこれをバランスさせるためには「確実な何か」が必要になる。
大事なのは「セキュアベース」
ここで問題になって来るのが「セキュアベース」という概念だ。幼児の発達過程において、幼児が未知の領域を探索するには、心理的なセキュアベースが必要になる、という説を唱えたのはイギリスの心理学者、ジョン・ボウルビイである。彼は、幼児が保護者に示す親愛の情、そこから切り離されまいとする感情を「愛着=アタッチメント」と名付けた。そして、そのような愛着を寄せられる保護者が、幼児の心理的なセキュアベースとなり、これがあるからこそ、幼児は未知の世界を思う存分探索出来る、という説を主張したのである。
これを援用して考えてみれば、一度大きな失敗をして×印がついてしまうと、会社の中で出世できないという考え方が支配的な日本よりも、どんどん転職・起業して、失敗したらまたチャレンジすればいいといった考え方が支配的な米国の方が、セキュアベースがより強固であり、であればこそ幼児と同じように、人は未知の世界へと思う存分挑戦できるのだ、という考え方が導き出されることになる。
つまり、人が創造性を発揮してリスクを冒すためには「アメ」も「ムチ」も有効ではなく、その様な挑戦が許される風土が必要だということであり、さらにそのような風土の中で人が敢えてリスクを冒すのは「アメ」が欲しいからではなく、「ムチ」が怖いからでもなく、ただ単に「自分がそうしたいから」ということである。