ある社会の消費に対する考え方を知るには、日用品売り場を見るのが1番だ。食料品店やドラッグストアを見れば、アメリカ人は干草の山から針を拾いたがっていると思われても仕方ないだろう。石鹸でも何でも、あり余るほどの種類から選んでいる。成熟した製品カテゴリーでは特にそうだ。逆に、生まれたてのカテゴリーでは、製品の種類は数えるほどで、1種類しかないこともある。栄養補強食品のパワーバーや、ウォークマン、コカ・コーラやペプシも最初はそうだった。
カテゴリーが成熟するにつれて、選択肢は幾何級数的に増加する。現在、パワーバーだけでも類似商品は40以上、エネルギーバー全般では60以上のブランドが存在する。ウォークマンだけでも20以上、ポータブルオーディオでは100以上の選択肢がある。実際、ある製品カテゴリーの成熟度を測る簡単な方法は、カテゴリー内の製品の種類を数えることだ。
だが、選択肢の増加イコール多様化、ではない。むしろ製品数が増えるにつれて、違いは小さくなっていく。石鹸でもシリアルでも靴でもいい。あるカテゴリーを選び、商品の相違点をリストアップしてみよう。数こそたくさん挙がるだろうが、そのほとんどに意味がない。違いがないとは言わないが、微細なものだ。藍色と緑青色の違いと、赤と青の違いは別物だ。
企業もさすがにこの段階では、カテゴリー内での競争に疑問を抱くようになる。もはや違いを楽に見分けられるのは、カテゴリーのエキスパート、つまり、プロだけになるからだ。
* * *
製品の鑑識眼は、語学力に匹敵する。特殊な知識によって新しい世界の権威となれる。それができない者は蚊帳の外に置き去りにされる。
ある世界に精通したいのなら、なるべく早い段階からどっぷり浸かるとよい。携帯電話も最初は通話だけだったのが、メールにカメラ、音楽再生と、あっというまに機能が増えた。節目節目で振り落とされずにすめば、市場とともに、あなた自身も消費者として成熟することになる。