資本コストと為替レート
ところで、こう説明すると、それでは日本企業の低ROA体質は日本の金融政策が作り出したものか、相対的に低金利という意味で「企業にやさしい金融政策」は、実は「企業を甘やかす金融政策」だったのではないか、そういう疑問あるいは意見を持つ読者も出るだろう。だが、それも単純に言えることではない。なぜなら、その議論は為替レートの変化の問題を見落としているからだ。
これは裁定と呼ばれる考え方の入門編だが、長期的に予想されている金利の内外格差は、同じく長期的な為替レートの変動予想と整合的でなければならない。たとえば日本円建ての金利が米ドル建ての金利より1年間で3%ほども低いのであれば、円の対ドルレートは1年間で3%程度は切り上がっていないと、日米の金融市場と為替市場は同時には均衡しないからである。短期的には金利と為替は別々の動きをするが、人々の期待の背後に長期的あるいは安定的な金利差予想が存在する限りは、長い目で見た為替レートはそれと整合的に変化しなければならないのである。
実は、このことは実際に起こってきた事実とも整合的である。円の対ドルレートは、360円/ドルの固定為替相場が崩壊した1971年以降、例のリーマン・ショックで米国が大規模な金融緩和を打ち出した2008年に至るまでの間に、だいたい年率で2.5%から3%程度のスピードで長期的な上昇トレンドを示していたからである。日本の金融政策は、確かに金利という面では日本企業にやさしかったのだが、傾向的な円高を作り出したという意味では、「企業に厳しい金融政策」であり、それで日本企業とりわけ日本の輸出型企業は鍛え続けられてきたともいえるわけだ。
また、このことはROAとかROEという計算方式が持つ特有のバイアスについても、示唆を与えてくれる。たとえば一定額を日本企業に投じている米国の投資家の立場で考えてみれば容易に気が付くだろう。彼らは、その1年後には投資先日本企業が事業として稼ぎ出した利益の自己帰属分とは別に、自分の投入した金額がドル表示でみて大きくなったということから生じる利益をも得ていると評価できるからだ。もちろん、こうした評価益はいつも発生すると限らない。評価益がどのように発生するかは、実際の為替レートに依存するし、会計制度にも依存するからだ。ただ、こうした効果は長期かつ資本市場全体で見れば、必ず実現していたはずである。彼らが、日本の識者からインタビューを受ければ、必ずと言ってよいほど日本企業の低収益性と低配当に厳しく注文を付けるが、それなら日本株を売るのかと聞かれると、それはないとあっさり答えるのは、別に不思議なことではなかったわけだ。
日本企業の低収益性や株主を向かない経営姿勢を反省する声が上がり始めてから久しい。しかし、それにもかかわらず、東証上場企業の外国人持ち株比率は傾向的に上昇を続けていた。その矛盾を解く鍵は、おそらくは為替レートの長期的なトレンドに対する一定の評価があったのではないだろうか。いわゆる「失われた10年」あるいは「20年」の間における日本株への投資は、その主役の一人だった外国人投資家たちにとっては、表面的な株価収益率やROEが示すよりは有利なものだったはずである。