ミンツバーグが拡張した
経営戦略の定義
戦略論の大家であるヘンリー・ミンツバーグは、1987年、「戦略の5つのP」という概念を『カリフォルニア・マネージメント・レビュー』に発表している。彼は「戦略とは何か」という議論に対して、5つの定義を提示した(表2参照)。この5つのPはさらに磨き込まれた形で、戦略論の名著である『戦略サファリ』(東洋経済新報社、1999年)の冒頭でも紹介されている。
表2:ミンツバーグの戦略の5P
ミンツバーグの考え方を援用すれば、これまでに解説した経営戦略の骨格は、さらに2つの方向性から拡張できる。
第1は「パターン(Pattern)」、つまり過去の行動の事実としての経営戦略を含める拡張である。これまで紹介してきた定義が、未来予測、これからの行動、計画、すなわち「プラン(Plan)」を骨格として議論していたのに対して、ミンツバーグが説明する定義は、第三者的視点から観測される、過去の行動の傾向としてのパターンの戦略である。
未来の見取り図としてのプランと、過去の行動の集合であるパターン、この2つは必ずしも一致するとは限らない。なぜなら、未来の行動指針たる経営戦略(プラン)を明確に定めてそれを実践しようとしても、その結果として観測される過去の行動の集合たる経営戦略(パターン)は、予測不可能であった要素や、頓挫して観測され得なかったプランの欠損により影響を受ける。したがって、プランとしての経営戦略とパターンとしての経営戦略は噛み合わないことがある。
第2は「プロイ(Ploy:策略)」、つまり外部要因とも内部要因とも関連付けが困難な策略とも言われる戦略行動を「How」に追加して拡張できる。
前述の通り、外部環境分析と内部環境分析は戦略立案の基本として理解されている。これはマイケル・ポーターのファイブ・フォース分析を古典とするような、産業構造などの外部要因から経営戦略を検討する系譜と、ジェイ・バーニーらの資源ベース理論に基づいた、内部資源の分析から経営戦略を検討する系譜の2つの方向性から発展してきた。この2つの理論体系は影響力が特に強いがゆえに、経営戦略の定義の骨格に近い主流を構成している。
しかし1970年以降、認知心理学の知見であるヒューリスティック(人間が短期間で判断を下す際に、厳密な理性と理論よりも経験値や直感を重視して結論を得る傾向)が広く応用され始めたことが、経営戦略の議論にも影響を与え始める。もちろん、よりミクロな意思決定当事者間の読み合いのゲームとして、経営戦略を議論する動きも進展している。こうした議論の発展を経て、戦略形成における交渉、政治や権力を含む属人的な影響力や権力の行使が、必ずしも外部環境や内部環境に関連しない戦略行動につながることが再発見されてきた。
これらの発見は、当事者間の読み合いを科学する「ゲーム理論」の発展や、一見すると合理的には思えない人間の経済的行動を現実の事象から分析する「行動経済学」の発展と、相互に密接に絡み合っている。これにより、外部環境の分析から見出される「ポジション(Position)」とも、また内部要因から見出される「パースペクティブ(Perspective)」とも異なる、意思決定当事者のプロイが再度着目を浴びつつある。
このように、およそ30年前に提示されたミンツバーグの戦略の5Pは、長い時間を経て、現代でも戦略論に貴重な視座をもたらしている。
第1に、未来の見取り図としてのプランと、過去の行動の集合であるパターンの狭間に存在するギャップは、研究者にとって未開拓領域であり、計画し得ない戦略をどう捉えるかという解決し難い疑問を投げかけている。
そして第2に、外部環境に関わるポジションでも、内部要因に関わるパースペクティブでもないプロイの重要性は、まさに実務家と研究者の間に横たわる溝に直結したズレであり、こちらも未開拓領域が残る研究領域である。