「プラン」と「パターン」の
ギャップとは何か

 では、「プラン」と「パターン」のギャップには、何が存在するのだろうか。

 特にスタートアップの経営戦略をめぐる議論においては、この問いは非常に重要な意味を持つ。なぜなら、特にスタートアップのようにダイナミックに成長する企業では、プランとしての経営戦略は曖昧にしか策定しえない。逆に、柔軟性と機動性を持って臨機応変に環境変化に対応する企業のほうが往々にして、結果としてパターンが優れている。むしろ、計画に固執することは失敗につながる可能性すらある。

 事実、スタートアップ企業で、年次計画や中期経営計画に長時間を費やす企業はそれほど多くない。もちろん、予実管理の必要性は否定しない。しかし、それを実現させるための道筋たる経営戦略を立案するにあたっては、産業構造の分析よりも、自社の組織構造を理解することよりも、もっと大切なことがあるからだ。一定の型であるビジネスモデルを定めると同時に、目の前のビジネスに逐一反応して変化することのほうが、遥かに結果としてのパフォーマンスに効いてくるだろう。

 カナダ国立映画制作庁における詳細な事例研究は、その事実を示した。それは1985年、ヘンリー・ミンツバーグとアレクサンドラ・マクヒューが『アドミニストレーティブ・サイエンス・クァ−タリー』に発表した「臨機応変な戦略形成(Strategy Formation in an Adhocracy)」という論文である。

 この論文は、それまで経営戦略が、実行される前に計画立案されるものであるという理解が一般的であったのに対して、経営戦略は実行の中から次第に形づくられていくものでもあることを示した。組織の個々人が現場で実践している方法論が先例となって組織の行動様式として定着していくことや、意図せずに現場から見出され、その効果によって組織に浸透した考え方が、結果的に草の根から組織の各層に広がり、全社の経営戦略として認知されるに至る過程を描写している。

 ここで議論された概念は、より一般的には「創発的戦略」という言葉で知られている。創発的戦略とは、事前には計画されておらず、ときに偶発的な要因で生じる「意図されなかった行動の集合体」によって構成される。これが結果的に直接的な成功要因となり、さらに事後的なパターンとして観測され、経営戦略として認知されるのである。カナダ国立映画製作庁で確認されたのも、まさに臨機応変に行われた行動の集合体として、事後的に形成されたパターンとしての経営戦略であった。

 スタートアップの経営者が、経営戦略の教科書を読んでもいまいちピンとこない一因は、経営戦略の創発的な側面が理解されておらず、またその解説も不足しているからであろう。

 スタートアップ経営者の経営の根幹にあるのは、1日単位での試行と改善のプロセスであり、多岐にわたる試行の末にたどり着いた、結果としての経営戦略である。特に急成長を続ける企業は、劇的な変化を伴う外部環境にさらされており、成長に伴い刻一刻とその内部組織も変容している。

 にもかかわらず、「経営戦略は外部環境と内部環境の分析から立案する」とだけ単純に講義されたとしたら、その講釈が腹落ちしないのも当然であろう。彼らの実務は、そのようには動いていない。たとえ動いているとしても、おそらく中途半端で結果にはあまり意味がない。なぜなら、大企業のように入念に外部と内部を分析したとしても、彼らの外部と内部環境ははるかに速いスピードで変容してしまうため、極めて高度な分析と立案の能力が必要となるからである。

 また、経営誌に掲載されるケーススタディや、インタビュー記事で語られる「我社の経営戦略」が参考にならない理由もここに起因することが多い。その際によく見られるズレは、実現されたパターンとしての経営戦略のすべてが、意図されたプランとしての経営戦略であると誤って解釈される場合に生じる。

 経営者も、広報担当者も、あたかもそれが事前に予期されたかのごとく、プランとしての経営戦略であったと語りがちである。しかし現実の経営には、経営者自身も把握していない現場での改善活動であり、競合の偶発的失敗に対する急場の対応策が、意図されなかった行動の集合体として大きな影響を与えている。そしてこれらが、当初意図されたプランと実現されたパターンとしての経営戦略の間のギャップを生み出している。そしてそれは、経営者が語る、パターンとしての経営戦略から見えてくることはない。

 創発的戦略は、学習の過程で一貫性が醸成される。成功に至るための道筋が歩きながら見え始めてくるのだ。たとえば、スタートアップ企業が行うA/Bテストによるプロダクト開発や、UI/UXを基軸にした事業開発の手法は、まさに創発的戦略で説明される経営戦略形成の実践例といえるだろう。現実との対話を繰り返す連鎖の中で徐々に組織の行動様式が修正され、一つの型がつくり出され、一貫性が生じるのである。実はこれは、スタートアップのみならず、多くの企業における実質的な経営戦略が実際に生み出されている真のプロセスでもある。

 遡れば、一橋大学の野中郁次郎名誉教授が1988年に『スローン・マネージメント・レビュー』で解説した「ミドル・アップ・ダウン」の概念は、中間管理職が実行の中核として創発的に戦略を前進させる姿を描いている。同様に、ハーバード・ビジネス・スクールのキム・クラーク名誉教授と東京大学の藤本隆宏教授が、1990年に『ハーバード・ビジネス・レビュー』で解説した「重量級プロダクトマネージャー」という概念は、外部環境からのインプットをプロダクト開発に導入し、内部環境における部門間の調節機能を担う、中核的な中間管理職による創発的な行動様式を明らかにしている。

 それらの議論が解説するのは、スタートアップのみならず、多くの伝統的日本企業においても、狭義の経営戦略は重視されておらず、実践もされていなかった可能性である。伝統的日本企業の経営戦略の骨格は長らく創発的であり、欧米の経営戦略の教科書が語るような、外部環境と内部環境の分析からは生み出されていないのかもしれない。日本において特に、「経営戦略」や「戦略コンサルタント」という言葉が懐疑的に捉えられるのは、こうした背景もある。

 プランとしての経営戦略のみを捉えていては、パターンとして経営戦略を掴むことはできない。そしてパターンとしての経営戦略のほうが、特に日本ではより一般的で重要な可能性が高い。これも大きなズレの一因だろう。

図1 :意図されたプランと意図されなかった行動

  創発的戦略ともいわれる、経営と現場の中間で動的に形成されていく戦略の実態は、さらにその重要性が増している。しかしながら、いまだ未開拓領域の残る部分でもあり、近年でも活発な調査研究が行われている。