経営戦略の未来に訪れる
3つの変化の可能性
過去30年の技術発展は、次の30年の技術発展の礎をつくり出した。前述したように、情報の記録・伝達・処理を支援する技術が急速に発展し、地球上のあらゆる場所をつなぐヒトとモノの輸送手段が整備された。世界中の組織と個人が密接に協業し、多くの技術革新を同時並行的に実現できる時代が訪れている。
そしていま、インターネットとモバイルデバイスが普及し、次なる変化の可能性として、シンギュラリティや第4次産業革命という言葉が引用されることが増えてきた。いまや、少なくとも過去30年と同じ、あるいはそれ以上の変化が次の30年で生じるのではないかという期待と不安が、多くの人々の間に生まれている。
では、現在注目を浴びる技術は、経営戦略の立案にいかなる影響を与えるのだろうか。未来の事象を断定的に語ることはできないが、論理的に推察できる3つの可能性について論じたい。
第1に明確なのは、経営においてヒトが関与する部分が、組織のあらゆる階層で小さくなることである。
生産現場の変化はわかりやすい。相互にネットワーク接続されたロボットが、各所にあまねく配置されたセンサーからの情報を読み取り、ヒトの関与を経ることなく自律的な判断を重ねることで、一定以上の作業改善を重ねるようになる。
また、中間管理層の役割が限定的となる。地理的に離れた場所に点在する多数の人々とのコミュニケーション・コストはさらに低減されるため、組織内で情報を中継したり、一定のルールに基づいた判断のみを担ったりすることの価値は失われるからである。
さらに経営層においては、形式化された意思決定に割く時間が短縮化され、より非定形な、創造的な意思決定に時間を使えるようになる。その結果として、経営幹部の数も絞り込まれる。単なる管理職に対するニーズは、さらに低くなるだろう。
これにより、組織のスリム化と相まって、コードによってデザインされるソフトウェアシステムと、それを構成するアルゴリズムの重みが増す。その結果、経営戦略を検討する際の「ヒトをどう動かすか」という問いに対して、「システムをどうデザインするか」という問いの重要性が相対的に高まることが予想される。
第2に、個品開発や個品製造の普及が視野に入ると予想される。顧客に関する大量なデータを取得して処理することが可能となり、ソフトウェアが自動的に最適な答えを選び出すことの実用性が増すことで、顧客一人ひとりのニーズを分析し、理解できるようになる。それによって、個人に対応した製品やサービスが1つずつ開発され、それが低コストかつ迅速に生産・提供される時代が訪れるだろう。
たとえば、3Dプリンティング技術の進化や、ロボットによる生産の自動化が発展することは、顧客ごとに大きく異なる製品仕様に対応して、低コストで大量に提供できる可能性を示唆している。スポーツ用品メーカーのアディダスが、3Dプリンターを用いて、アスリートごとの足の形状や歩き方の特性に合わせたソール提供している[注3]ように、多くの顧客が世界に1つだけの商品を手に取ることができるようになる。
製造業だけでなく、サービス業にも同じような革新が起きる。過去一度しか来店していない顧客の情報を正確に記録できるようになり、その顧客の仕草や発言、その他の情報を多数のバックグラウンド・データから解析し、最適なサービスを提案できるようになる可能性がある。従来は、熟練スタッフの経験値に依存することでテイラーメイドされていたサービスが、システムの指示によって、またロボットの支援を受けることで、比較的経験の浅いスタッフでも堅実に提供されるようになるだろう。
過去にも、特注品と特別なサービスの消費が許されていた時代は存在していた。ただし、その対象は一部の超富裕層に限ったものである。現代は、広く消費社会が確立されたことで、大量生産の既製品が社会の片隅まで埋めるようになってから久しい。次の時代の技術進化により、ごく一部の限られた顧客のみに提供されていた個別対応を、より幅広い顧客層に提供する原動力となるはずである。
これにより、経営戦略の立案にも変化が求められる。これまでは、製品の仕様を事前に決めて、その製品を評価する顧客層にアプローチをするか、顧客層を先に絞り込み、その顧客に合わせた製品を開発するという、2つのアプローチが一般的であった。だが未来には、製品のあり方を定義しきる必要も、ターゲットを絞り込む必要もなくなる可能性がある。
顧客ごとに異なる付加価値を訴求できるようになり、顧客自身もそれを当たり前のように感じる時代が来るならば、より高次元での開発と販売のプロセスを設計しなければならない。すなわち、戦略検討の対象が、どのような商品をつくるのか、どのような顧客にアプローチするかではなく、商品開発を行うアルゴリズムや仕組み、システムとなり、同様に、顧客対応を行うアルゴリズム、仕組み、システムとなるだろう。
第3に、製品・サービスを提供する相手が、必ずしも人間ではなくなることが予想される。消費者の意思決定は少なからず、人工知能と呼ばれるシステムの支援を受けるようになるだろう。経営組織も同様である。中間的な意思決定や、データの分析がシステムによって支援される時代になれば、そのシステムが購買意思決定に対して大きな影響力を行使できるようになる。
いまもすでに、そうした現象は見られる。たとえばインターネットのショッピングサイトで買い物をするとき、自分が興味を持ちそうな商品が自動的に推薦されることは代表である。検索エンジンで興味・関心のある事柄を調べ続ければ、システムが最適と信じる製品やサービスの広告が提示される。またフェイスブックのタイムラインも、自分の検索履歴や「いいね!」の履歴などから、ユーザーがより楽しめるコンテンツが表示されるよう調整されている[注4]。
グーグルの検索結果を見ても、自分にとって有益と思われる情報が、ときには国家の関与も受けながら、システムによって自動判断され、ある程度以上調整されている[注5]。それは単に、専制主義の国家が、自国にとって都合の悪い情報をシャットダウンするだけのシンプルな仕組みではない。さまざまな組織が、みずからの主義主張の正当性を主張するために行われる活動である。たとえば、インターネット・ボット(Internet Bot)と呼ばれる特定のアルゴリズムに基づいて、米国大統領選挙で特定の候補者を支援するメッセージを書き込んで世論を操作したり、自社の製品やサービスに対して好意的なコメントを自動書き込みしたり、自社のフェイスブックページの「いいね!」ボタンを押させたりするなど、自動化されたタスクを行うシステムを通じて多面的に行われているのが実状である。
組織と個人が、現在よりデータとシステムに依存した意思決定を、手軽かつ安価に活用できる時代が訪れることは明らかである。今後はいっそう、暗黙的な行動や感性に頼った意思決定を行おうとする人間に対して、システムがより合理的な判断を促す可能性が高い。
ただし、たとえシステムがそれをしても、人間が従うとは限らないため、予測が難しいという副作用もあるだろう。たとえば、雨が降っているという状況を考えもらいたい。そのとき、システムは傘を持っていくように指示するだろう。だが人間は、突如として雨の中を歩きたくなることもある。とても気分のよい日があれば、たまたま見つけた高価なバックを、財布の中身を気にせずに購入してしまうこともある。このような人間の自然な行動に対して、普及が始まりつつあるパーソナルアシスタントがどのような影響をもたらすかは、まだ未知数である。
経営戦略を立案するうえでは、その相手が人間ではない可能性を意識した判断が求められるようになる。パーソナルアシスタント、すなわち人工知能同士が相互に対話し、商品やサービスの詳細を意思決定する未来すら想定されるのである。
マーケターが商品を売り込む対象は、将来、自動学習によって“個性”を持ち始めた「Siri(シリ)」や「Alexa(アレクサ)」、「Watson(ワトソン)」かもしれない。そうであるならば、それらを利用する顧客の人種、居住地、年収、年齢といった基礎情報と同じように、その人工知能はどの企業が提供する人工知能なのか、どのような学習を経たうえでの判断基準を持っているか、などを想定したコミュニケーションが必要となるだろう。
これら3つの変化は、相互に密接に絡み合っている。
第1の変化が示すのは、組織が人間とシステムの融合体となる未来である。ヒトが主体となる部分が減少すると同時に、システムが主体となる部分が増えるだろう。第2の変化が示すのは、人間がデータとシステムの支援を受けて情報分析と判断を行うようになることで、これまで以上に生産手法が高度化され、かつ柔軟性が高まることを背景に、人間社会が大量生産の既製品に我慢する時代が終わる可能性である。第3の変化が示すのは、人間が主体となって意思決定することが、必ずしも前提とならない社会が登場する可能性である。システムがより大きな影響力を持ち、その意思決定に経営組織のパフォーマンスが左右される。
第1の変化によって、第2の変化が実現する。また、第1の変化は生産活動における人間とシステムの融合であり、第3の変化は個人の生活における人間とシステムの融合である。そのため、第1の変化と第3の変化が第2の変化を加速させると同時に、第2の変化の加速が第1の変化と第3の変化を促進させる。そして、これら3つの変化の間に存在する正のフィードバックループが、本稿で描く大きな社会変化をある時点から急加速させるのではなないだろうか。
仮に、こうした変化が加速する状況を迎えれば、有効な経営戦略のあり方も大きく変わるだろう。1つだけ確実に言えることは、データとアナリティクス、そしてソフトウェアシステムを理解せずに経営戦略を語ることはできなくなる、ということだ。経営戦略の議論は、サイエンスとシステムからいっそう切り離せなくなる。
組織運営の重要な部分がシステムによって担われるようになれば、それは経営戦略の立案と実行における人間の認知限界を超えるであろう。そうした環境下においては、個別の意思決定を行うのではなく、メタレベル(高次元)の意思決定、たとえば意思決定のやり方に関する意思決定が求められる。すなわち、個々の意思決定を毎回人間が行うのではなく、人間は意思決定の指針や、そのやり方のみを提示し、システムに任せる範囲が広くなる。
単純化した例で言えば、第5回で紹介したシナリオ分析はわかりやすい。シナリオ分析の特殊な点は、未来の可能性を1つの道筋で予測するのではなく、複数の可能性から捉え、それぞれに対していま取れる打ち手を複数立案し、それを同時並行的に実行する点である。決め打ちの予測に基づいて単一の経営戦略を立案するのではなく、複数の未来の可能性のそれぞれに対して、必要な経営戦略を実行する点が類似している。
現在のところ、実務の現場におけるシナリオ分析は少なければ2つ、多くて6つ程度のシナリオに未来の可能性を収斂させて、議論が進められている。しかし、未来の経営では、このシナリオを無限大に描ける事態が考えられる。そして、経営戦略として、そのシナリオの1つひとつに対して、一定の方策を立案しうる枠組みを立案する必要性に迫られるだろう。