エッツィーのようなオンラインマーケットプレースには、『ハリー・ポッター』や『ゲーム・オブ・スローンズ』や『ストレンジャー・シングス』といったファンタジー作品に着想を得た作品があふれている。こうした作品が一掃されて、公式Tシャツや弁当箱だけになったらどうなるだろう?誰かが価値ある文化現象をつくり出したら、それ以外の人はそれを楽しむ方法を提供できないのか。

 この問いに対して、少なくとも、ある連邦裁判所は「ノー」という答えを出している。1992年に人気アイドルグループのニュー・キッズ・オン・ザ・ブロックが、ある新聞が有料でお気に入りメンバーの電話調査を行ったことについて訴訟を起こしたところ、連邦控訴裁判所は、知的財産権者はファンに対して「覇権」を持つわけではないとして、この未承諾のファン活動をとがめなかった。

 たとえ法律上の権限があっても、企業は、未許諾のファン活動を阻止すれば逆効果をもたらしうることを考慮するべきだろう。ファンに活動の「停止」を要求すると、その愛はたちまち憎しみに変わりかねない。また、そのような措置は創作性を窒息させる恐れもある。ファンが喜ぶ商品や経験を開発することにかけては、企業よりもファン自身のほうが独創的なことは多い。

 さらに、ファンの創作活動を禁止しておきながら、企業がそれにタダ乗りすることは許されない。20世紀フォックスは、まさにそれでトラブルに陥った。

 SFドラマ『ファイヤーフライ 宇宙大戦争』のファンが、登場人物が着用したものに似たニット帽をつくってエッツィーで販売したところ、20世紀フォックスが待ったをかけ、別の業者からライセンス販売を開始した。ファンは激怒した。フォックスはこのドラマにまったく愛を示さず、シーズン1が終わりもしないうちに打ち切りを決めた。ニット帽をつくり、販売し、着用することで、ドラマを生かし続けたのはファンなのに、というわけだ。

『スター・トレック』のファンも、映画会社の規制に反乱を起こした。パラマウント・ピクチャーズが、ファンお手製の「続編」は15分以内にすること、といったガイドラインを発表したところ、ファンに対する「宣戦布告」と受け止めたられたのだ。

 知的財産権法は本来、人々を楽しませる作品の創作を刺激することを意図しているが、企業がその楽しみ方を商品化するために、拡張して運用されている。しかも、その楽しみ方は増える一方だ。

 こうした権利の拡張は、根本的に人間的な活動(たとえば人生や社会に影響を与えた文化的作品を上映/上演したり、引用したりする能力)にどのような影響を与えるのか。

 ひょっとすると、美の経験について最も影響力のある理論を示したのは、19~20世紀の哲学者ジョン・デューイかもしれない。デューイは、進歩とは芸術作品の創作によってではなく、その創作に人間がどれだけ関与・参加したかによって測定されるべきだと主張した。そして、私たちはあらゆる感覚を刺激するためにも、身の回りのアートと文化に関与するべきだと説いた。なぜなら自由に想像にふけり、心踊る美的活動に自由に関与する能力は、人間性の中核を成すからだ、と。

 文化が進歩するためには、単に多くの作品を生み出すことではなく、創作の世界に参加することが必要だ。それが現代文化における真の芸術になる。

 愛すべき文化財産の所有者が、ファンの経験に知的財産権を主張するときは、慎重なアプローチを心がけたほうがよい。ファンはフィクションの世界に命を与えたいのだということを、企業は気づくべきだ。

 ファンの関与は、その作品の寿命と価値の両方を伸ばす。ファンは、その作品を彼らにとって特別なものにする。その愛と献身は、クリエイターたちが望んでやまないものである。


HBR.org原文:When Fandom Clashes with IP Law, July 23, 2019.

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マダヴィ・サンダー(Madhavi Sunder)
ジョージタウン大学ローセンター法学教授。専門は知的財産権とポップカルチャー。