脳の仮想現実を神経処理として実装する「生成モデル」
――意識のどのようなメカニズムが、現実世界とデジタルツインの同期を可能にするのでしょうか。
脳はもともと、制約の多い不完全なセンサー情報から世界をシミュレートすることが得意です。外界から切り離され、一切センサー情報の存在しない状況でも、ゼロから世界をシミュレートしてしまうくらいです。寝ているときに見る夢がまさにそれを行っているのです。
哲学者のアンティ・レヴォンスオは、「意識の仮想現実メタファー」仮説のなかで、夢の存在を重視し、意識の脳メカニズムを仮想現実になぞらえています。彼は「夢を見る脳の精巧なメカニズムは夢を見るためだけに進化発達してきたのか? いや、そうではない。まさに覚醒中に、私たちが世界を見て、聴いて、触って、意思決定できるのは、夢を見る脳の仕組みを使っているからだ!」と説いています。
一方で、脳の仮想現実をその神経処理として実装するメカニズムとしては、川人光男とデイヴィッド・マンフォードが独立に提唱した「生成モデル」を考えています。生成モデルでは、現実世界と脳の仮想世界を同期させる方法として、下位のモジュールで両者の観測結果 ――現実世界においては実際の目や耳、脳の仮想世界においては内なる仮想感覚器による観測―― の差分を取って上位にフィードバックする方法が提案されています。
実は、人の皮膚には、圧力と温度センサーくらいしか存在しません。にもかかわらず、指先でザラザラやツルツルといった表面の質感を感じることができるのは、物体表面と指先の間の動摩擦と静止摩擦から生じる皮膚の特徴的な振動から、物体表面の性質のみを脳が巧みに抽出しているからです。このように、身体と環境の複雑な相互作用が入り込んでしまったような不完全な感覚情報を扱えるのも、環境や身体をシミュレーションする仕組み、すなわち、生成モデルが脳のなかで働いているからだと考えられています。
デジタルツインとは、まさにコンピュータのなかの仮想現実であり、生成モデルのメカニズムを用いることによって、さまざまなノイズが混入し、複雑な相互作用を含むセンサー情報から、現実世界とデジタルツインを同期させることができると考えています。夢を見るコンピュータシステムが、現実世界に張り巡らされたセンサー群からの情報を受けて「覚醒」している状態とも言えるでしょう。
当然、「意識を持つ社会」がもたらす恩恵は、災害時の即時対応に限りません。現実世界に高い精度で同期するデジタルツインを用いれば、未来を高い精度で予測することも可能です。街のインフラのみならず、人の頭のなかや社会経済活動の因果性も含め高いレベルで再現されるデジタルツインを通して、数秒先、数分先、あるいは10年後、20年後の社会がどうなっていくかをリアルに予測し、事前に対策を打つことも可能になるでしょう。
――デジタルツインは、言葉は違えど、GAFAをはじめ世界の多くの企業が構想として挙げているようですが、日本の現在の立ち位置をどうとらえていますか。
日本のAI研究は、米国や中国に比べて10年遅れとか、周回遅れと言われ、ビッグデータの収集・分析については、GAFAに敵わないのではないかといった話を多く見聞きします。ただ、日本にもまだまだ返り咲くチャンスが残っていると私は考えます。たとえば、日本のお家芸とも言える、アナログ・デジタルセンサー技術を活かした高度なデジタルツインを実現していくという課題においてです。
たしかに、現実世界の視覚モダリティにおける情報収集などは、GAFAに大きく立ち遅れていることを認めざるを得ません。しかし、街の至るところに取りつけたい「せん断応力センサー」や「振動センサー」、さらには人体内外のさまざまなセンサー群など、まだまだ未開拓のセンサーモダリティが数多く存在します。それらを踏まえ、少子高齢化や過疎などの社会問題に世界に先駆けて直面する日本のピンチをチャンスに変えることにより、フロンティアを切り開いていくことができるのではないでしょうか。まだまだ日本にも勝機があるのではと期待しています。